「武士・松村」は、「雲より天才である」
琉球王国時代において、福建省の琉球館を護衛していた清朝漢人部隊・緑営の護衛兵(把門・把門官=アーナン・アナンコーと発音)が、訓練していた軍事教練の15の形を、1804年前後に唐手・佐久川が移入しました。
前々回のブログで、その15の形の7番目にあたる「サンセール―」、「サンダーリュ―」、「三十六戦」と呼ばれる形の、大まかな事柄の説明を終えました。
7番目の9X4=36の形が、この「三十六戦」です。15の形には9の倍数の12の形がありますが、三つの例外の形が存在しますので、合計15の形となっています。15の形一覧表
本来ならば、次の8番目の9X5=45である「四十五戦」である、「シーウーチン」、「セイエンチン」っと呼ばれる形の事柄を記するべきですが・・・、
次の9番目の9X6=54である、「五十四歩(ごじゅうしほ)」の形の完全解明を終えた直後ですので、忘れないうちにその感想を記しています。備忘録としても、良いでしょう。
この五十四歩の形は、「鳳啄(ほうたく)」っという名前を、船越義珍・師から与えられてもいます。
そして鳳啄とは、「啄木鳥(きつつき)」のことであろうと記して、あの詩人・作家の石川啄木の啄木も同様であるとも記しました。
じつは「武士・松村は、雲よりも・・・?」
っと以前のブログで記しましたが・・・、この題である「雲は天才である」っという言葉は、石川啄木の小説の題からです。
そして、今回「五十四歩(ごじゅうしほ)」の形の完全解明を果たした時に思ったことは、ヒョッとすると「武士・松村」こと、「松村宗昆は、雲より天才である!」のでは無いか。っということです。
それは、煩雑に出て意味を為さないと思われていた(文責・新垣)・・・。
鳳啄、すなわち啄木鳥の名称の由来となったであろう、貫手の連続(流会派によっては、連続四回の貫手が、四場面で登場!)が・・・。
じつは、必然であったのだ! っという驚くべき認識と同時に、形の機能だけでは無く、形の構成が「もう、これ以上は無理だ!」っと言うほどに、緻密であり、自然であり、かつ必然であるのです。
さらに松村が日本剣術で得た奥義と、自らの近習という職務から得たであろう、形における五つの必項を、完全に満たしているのです。
東広島同好会の代表氏のブログにもあるように、その中でも重力による自由落下が非常に重要になります。 「全ては重力落下」
特に松村の五つの形を観た場合においていは、重力の自然落下に関しては、この「五十四歩(ごじゅうしほ)」が、一番際立っているのかもしれません。
それほどまでに、「見事!」なものです。
この稿続きます。
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