「鳳啄」、「きつつき」の形の斜め進行

 「五十四歩(ごじゅしほ)」の形は、「鳳啄(ほうたく)」との別称を与えられた。

 っと記しました。

 それは、貫手の「つつく」動作が多いから! っと理解されていたからなはずです。

 今回の「五十四歩(ごじゅうしほ)の完全解明で、その貫手(?)の意味することを理解することができましたが・・・。

 しかし、

 なぜ演武線から外れて、

 斜めに行く流会派の形が、多く存在するのか?

 

 っという、さらなる大きな疑問がありました。

 「演武線から外れて」っと記しましたが、これなどはまだ良い方で・・・、

 中には演武線の存在などまるで無く、演武者がシッチャカ・メッチャカと、アチラ・コチラに動いている流会派の、「五十四歩(ごじゅうしほ)」も存在します。

 またまた、「一体、これはナンじゃらほい!」の世界が繰り広げられるのです。

 まあ、だからわたくしは、この形が好きでは無かったのですが・・・。

 特に「折敷」の後で、あるいは「折敷の跡」がある動作の後で、斜めに進む流会派の「五十四歩」が数多く存在します。

 生前から生きている伝説のような扱いをうけて、「武士・松村」とも呼ばれた松村宗昆なる人間が、そんなシッチャカ・メッチャカと、アチラ・コチラに動くような形を創作するでしょうか?

 する訳が、ありません!

 「ンナッ・モー!」、芝居や映画の、殺陣師じゃなんいんだから!

 でも、

 斜めの動作は、必要なのですよ!

 この疑問が解けた時の驚愕の感覚は、まだわたくしの中に残っています(まあ、だからこのブログで、「備忘録」の心算で記しているのですが・・・)。

 端的に申せば、その時は背筋が凍るほどの思いがして、「松村・凄い!」っと一言、呟くのみでした。

 その後に続いた感想は、「これは、使えん!」っというものです。

 この松村宗昆なる人物は、頭の中に完全に正中線と演武線を描けるほどに、武術を修行した人物です。

 自分と対峙する相手との彼我の相関関係を、四分の一インチ(4ミリメートルほど)の感覚で、理解できた人物です。

 そして松村宗昆が・・・。

 中国の軍事教練から沖縄空手の形となって、一、二世代(?)後に・・・。

 日本剣術の鋭利な心身思想・操作を導入して改良・創作した形こそが・・・、

 「武術として伝承された沖縄空手」であり、沖縄空手の形なのです。

 でも、「使えません!」。

 エッ! 

 

 そうです。

 松村の形は、

使えません!

 この稿続きます。

国際沖縄空手道 無想会 International Okinawa Karate-do Muso-kai