水増して薄めるか?

 「武士・松村」こと、松村宗昆の手、首里手、そして沖縄手とは、現代の平和な日本国にはそぐわないっと思えるほどに、瞬時に相手を殺傷してしまうものである!

 っと、記しました。

 すなわち中国王朝軍隊の、集団で行う徒手格闘術の軍事教練を、さらに人類史上最高峰にあるとしても良い、日本武道(日本剣術)の個人の技量で研磨したものです。

 それは、「純粋な殺傷術」と呼べるもので、護身術や逮捕術などとは、根本から異なるものです。

 すなわち松村の手とは、現在では平和な日本国内では使う場所が無い。あるいは、使う必要が無い技術なのです。これはある意味、幸せになことです。

 これを常時訓練する必要があるのは、国家の要人を護衛するいわゆるシークレット・サービス(特に、治安に問題がある場合)。あるいは、特殊部隊・スペシャル・フォースのような人間たちだと思っています。

 これが護身術などであれば、暴漢から手を掴まれたり・・・。あるいは電車の中で痴漢にあった女性が自らの身を守るために、相手に使用して一時的に相手の身柄を拘束して、警官に引き渡すなど・・・の場面が、現代の日本国内においても考えられます。

 しかし当然のことながら、琉球王国時代には電車は走って無く・・・。さらに、もし走っていたとしても、「武士・松村」に痴漢行為をする人間などは、まず居ないはずです?!。

 さらに逮捕術ということであっても、相手の意思は確実に、自分や自分が守る相手を殺傷するというものです。

 かつ相手の数が瞬時に判断できず、かつ相手の武器の所持などの判断も不可能な状態で、使うものとなります。

 その時に一番効率が良いのは、瞬時に相手を行動不能にする技術です。

 それは端的に言ってしまえば、「殺傷術」なのです。

 この・・・、松村の手、首里手、沖縄手とは「殺傷術」であるとの歴然たる事実。

 そして、だからこそ、近代化を迎えた日本社会の中核に導入するために、「牙を抜いたのだ!」っということを認識しなければ・・・、

 「武術として伝承された沖縄空手の再興」

 は絶対に不可能です。

 危険でなければ、「牙を抜く」必要は無いのです。

 わたくしが、ズーッと以前から、

現代の空手とは、

近代化のために、「牙を抜かれたのだ!」

 っと常々述べているのは、これらの理由からなのです。

 そのために現在の空手の形は、すべて使えないものとなっています。

 まあ、何時のころからか、体育・体操化の過程で、中国拳法の套路と同じく「コンテクストの存在認識」が完全に消滅したことも、その一因なのですが・・・。

 しかし、少なくとも我が国際沖縄空手道・無想会は、上記したように

「武術として伝承された沖縄空手の再興」

 を謳っています。

 では、どうすれば良いのか?

 答は、二つあるかと思います。

 一つは、近代化のために「牙を抜かれた」現代の空手の形と同様に、体育・体操、スポーツ、あるいは最大でも護身術として練習することです。

 すなわち水増して、業・技の威力を薄めてしまうのです。

 これが、明治以後の沖縄空手、そして日本本土に移入された空手が辿った道だとしても、良いでしょう。

 空手を社会の中核に導入するためには、必然な道でもあり、その結果としてのオリンピックの参加でもあるのです。

国際沖縄空手道 無想会 International Okinawa Karate-do Muso-kai