自身が、「士」になる!
中国王朝軍隊の軍事教練を「武士・松村」が、鋭利な日本刀の存在と、その操作から学んだ心身思想・操作で改変した・・・。
改変、改良ってか・・・、「換骨奪胎」してグレードを最大にアップしたのが、「武術として伝承された沖縄空手」の正体です。
でも、それは余りにも鋭利すぎて・・・、
現在の平和な日本国において、存在することが出来るのか? あるいは、存在価値があるのか?
っかが・・・、鋭く、わたくしとわたくしの主宰する、国際沖縄空手道・無想会に突き付けられています。
存在させる方法として、一つは前ブログでも記したように、「水増して薄めるか?」という方法があります。いわゆる体育・体操化、スポーツ化です。その頂点が、オリンピック参加でもあると記しました。
ただ・・・、わたくし・新垣清は他の道を取ることに、20年以上も前の再修業の際に、決意しています。
空手とは、何か?
それは松村の手、首里手、沖縄手の心身思想・操作を理解したならば、個々人の体格・体力から繰り出せる、最大出力を得ることが出来るということです。
なぜなら、人間の自力(自分の骨、筋、筋肉から出る力)っと、他力(重力による自然落下の応用)の組み合わせで、最大の力学的エネルギーを瞬時に放出することが可能な、心身思想・操作だからです。
ですから、出力は巨大であっても比較的疲れません。エンジンとして、長時間使えるということです(最低限、半分は重力がやってくれるから楽チンなんでよ!=上達するとその大部分は重力だから、わたくしみたいな、怠け者でもOK!) 全ては重力落下を、参照にしてください。
ならば・・・、松村宗昆の技量に少しでも近づいて、松村の手、首里手、そして沖縄手を、松村が出来たであろう如く、自由自在に使いこなせることを目指して・・・、
出来る出来ないは別として、自らの浅才をも顧みずに、兎も角トライして行こう! というものです。
松村の手とは、言ってみれば、一瞬で最大出力に達する、出力の巨大なモンスター・エンジンのようなものです。早く、速く、疾いですし、強く、剛く、勁いです。
しかし、そのモンスター・エンジンは、モンスターであるが為に、通常の人間には扱いかねるものです。
それを、自由自在に扱う。
すなわち武道用語で言えば、「活殺自在」になるためには、モンスター・エンジンを積むことの出来る機体、あるいは車体と呼ばれるボディーが必要です。さらに、強力なブレーキも、そしてサスペンションなども必要になります。水冷か液冷などのシステムも、必要なのかもしれません?!
そこまで到達して初めて、如何様にも好き(勝手)に、「活殺自在」が出来るのだと思っています。
ただ、ここで誤解して欲しく無いのは、上記の必要なものらはモンスター・エンジンが存在することで、初めて必要になることであって、その逆はありません。
そして日本武道・武術が、世界に冠たる所以とは、モンスター・エンジンを自由自在に使いこなすまでのレベルに到達した人間たちが、他の文化と比べて、比較に為らないほどに多いということです。
その一人が、われわれ空手家にとっては幸いなことに、「武術としての沖縄空手」を創始し、後世に伝えた「武士・松村」、こと松村宗昆です。
いや! 剣を常に使う剣術家と異なり、空手とは生身の徒手格闘であるが故に、身体操作に掛けては、剣術家よりも一日の長があるっとさえ、わたくしは我田引水的に思っています。
その「武士・松村」こと、松村宗昆の心身思想・操作を追及して、少しでも真似の出来るようにする。わたくし・新垣清と、その主宰する国際沖縄空手道・無想会の理念とは、ブッチャケて言えば、それだけの事です。
形の相対(いわゆる、分解ね!)でさえ、「手加減しなければ、危ない!」形を・・、
べつに、実生活に使う訳ではありません。ってか、使ってはいけないものです。
では、「使えないものを、ナゼ学ぶのか?」 などという答えは、各々が出すものであり・・・、わたくしの関知する事柄ではないと、愚考しています。
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