古い形は、新しい形に上書きされたのか?!

 本ブログでは、唐手・佐久川が1804年前後に沖縄に移入させた、15の中国清朝軍隊の漢人部隊(緑営)の軍事教練の、徒手格闘術の形の一つである「五十四歩」、すなわち「ウーセイシ」の形に関して記しています。

 しかし、現在の「ごじゅうしほ」っと呼ばれる形は、その30年ほど後に中国に渡った可能性のある「武士・松村」こと、松村宗昆が移入させた「五十四歩」の形である。

 「唐手・佐久川」の移入させたものとは、少なくとも時代や、移入者は異なるものである。っと記しています。

 すなわち、同じく唐手・佐久川が移入した「サンチン」、「セイサン(十三歩)」、「サンセール(三十六戦)」、そして「スーパーリンペー(壱百零八歩)」の形が・・・、

 近代になって東恩納寛量師、そして上地完文師などが移入させた、中国世俗拳法の同名の形に上書きされた事柄と、まったく同じであると記しました。

 まあ、「五十四歩」の場合は、時代は30年ほどの違いはありますが、移入元は同じ中国の福建省の琉球館からです。

 さらに、同じ中国清朝軍の漢人部隊(緑営)の軍事教練なので、中国での名称も同じなら、套路(形)自体が同じ可能性もあったでしょう。

 そして、東恩納師や上地師の移入させた世俗拳法の形も、もともとは福建省の琉球館が廃された後に・・・。

 その近くにあったとされる、湖城家の蔡家道場に軍事教練の形の四つが伝われり、それが宗教的原理や、動物などの模倣が入った世俗拳法化しただけなので、根本的には同じ様式であったはずです。

 ただ、世俗化した際に他の中国拳法諸流会派(門)っと同じく、套路(形)の中にある「コンテクストの存在」が完全に欠落してしまったために・・・、

 動作に連続性が無くなってしまい、套路・形自体が、意味を為さなくなってしまったのです(文責・筆者)。

 そして、誠に驚愕すべき事実として・・・、長い間にわたって・・・、筆者・新垣清は、

 これらの、唐手・佐久川から100年ほども遅れて移入された四つの形が、既存の唐手・佐久川が移入した形を上書きしたので・・・。その為に古い「唐手・佐久川」の形は、消滅してしまったのだ! っと思っていました。

 しかし、沖縄空手界(含む日本本土)を隈なく、詳細に調査した結果・・・。

 上書きされて、消滅したのでは無い。それらの大部分は、(細々とながらも)伝承されていたのだ。っという事実を、得ることが出来ました。

 本ブログでもたびたび記す、「ローチン(三十六戦のこと)」や「スーパーリンペー(壱百零八歩)」などの形です。

 すなわち沖縄空手の修行者たちは、古い形を新しい形で上書きしてしまって、消滅させたのでは無く、古い形を新しい形で置き換えただけなのです。

 確かに・・・、新しい(同名の)形は、メージャーな地位を占めることとなります。

 しかし古い形は、消滅すること無く、あるいは消滅させる事無く・・・、

 そのまま、(非常に)マイナーがカタチで伝承されて、現在まで(非常に細々と)伝承さているのです。または、近年まで伝承されていたのです。

 それらの古い形は、伝承の途中で名前の前後が欠落したり・・・。異なる名前で呼称された形もがありますが・・・。

 それとても、形の中になるコンテクストの存在を理解して、形を使う、あるいは形の内容を読み解くことが出来れば、判別は可能です。

 さらに、空手の歴史を丹念に当たって、伝承者の経歴などを詳細に理解すれば、可能なのです。

 そして、拙いながらも、わたくし・新垣清はその全てを遣った心算ではあるのです。