クーシャンクー、観空の形の時間軸

 前、前々回のブログ、クーシャンクー・観空の完全解明が出来るのか?  っと四方クーシャンクーの形

 において「北谷屋良」「松村系統」、そして「四方」っとクーシャンクーと呼ばれる三種類の形の存在が、非常に厄介な問題だったのです。っと述べました。

 なぜか?

 伝承の時間軸に、混乱が生じるからです。

 すなわち1700年中頃に、コウ(公、洪などの漢字でしょう)と呼ばれる満人八旗の軍人が冊封使の護衛として沖縄に来ました。その公師が伝授した形が現在の「クーシャンク―」、「コウソウクン」、そして「観空」などと呼称される形です。

 原型は中国拳法に良く見られる、「横進行のカタチ」であり、他の清朝軍隊の軍事教練と同じく、善撲営の影響の非常に強い形であったはずです。

 ちなみにこの善撲営は、中国拳法に非常に大きな影響を与えていますが、世俗化してしまった中国拳法はその影響の検証は、筆者・新垣清の知る限り、非常に希薄です。

 じつは中国清朝軍の漢人部隊(緑営)の軍事教練の15の形が、琉球王国の沖縄に移入された時に、首里のそして沖縄の武士たちが拒絶したのは・・・。

 この善撲営の心身思想・操作である! っとしても過言ではありません。これに関しては非常に大きなな問題であるので、何時かチャンとしたカタチで記して行きます。

 すなわち「クーシャンクー」、「観空」などと言われる形に原型に極めて近いのは、「四方クーシャンクー」などと呼称される、正面に礼をした後で横に進行するカタチの形なのです。

 しかし、文責を筆者・新垣清と明確にして記していきますが・・・。

 この「四方」は、形における機能というのが、全くと言って良いほどに消滅してしまっており、形の構造のみで参照になるだけの形です。

武術的に、のっぺらぼうの形です。

 現在の沖縄空手界に、残っているのか? どうか? さえも定かでは無い「四方」っという非常にマイナーな形なので・・・。伝承の途中で、大部分の武術的な機能というものが、消滅してしまったのだと推察できます。

 しかし、他の二つの形、すなわち「北谷屋良」と「松村系統」は体育・体操化しているとは言っても、「四方」と比べてみれば、一応の機能を持っている形です。

 しかし、「北谷屋良」は、この初期、すなわち機能を保全していた当時の、四方クーシャンクーを独自に沖縄化したのか? または中国清朝軍の軍人であった、「公(?)総官」から学んだものから直接、北谷屋良本人が沖縄化したのか?

 などなどの事柄が、不明なのです。

 なぜなら、初期の北谷屋良は、「クーシャンクー」から伝授されたという口碑が沖縄空手界にはありますし・・・。その子孫になるであろう、北谷屋良は松村宗昆の弟子であったという口碑も、存在していたのです。

 さらに形の機能において重複するところ、他の形では機能として存在しているのに、他では様式となってしまった。四方とは違って、首里的に変革された箇所が、二つの形の構造となっている・・・。

 その変革が、首里的だけでは無く「松村的」、すなわち松村宗昆のトレードマーク的な変革が、「北谷屋良」にも見られるのです。

 などなど、もう数え上げたら、キリが無いっと言って良いほどに存在します。

  三つの形の伝承における時間軸、あるいは時間の流れが明確に出来ないために、常に混乱が起こってしまうのです。

 前に「クーシャンクー」の解明を果たすために、再修業に励んだ時・・・。わたくしと国際沖縄空手道・無想会の世界総本部道場の四段の黒帯が、「漫然たる」解明までは行ったのですが・・・。

 完全解明に、最終的には頓挫したのか、上記の理由が主なものでした。 

 しかし・・・。

 この稿、続きます。

国際沖縄空手道 無想会 International Okinawa Karate-do Muso-kai