クーシャンクーは、空は観ない!

 三種類のクーシャンクー(公総官)の形の時間軸が、ハチャメチャなので・・・、

 わたくしの再修業における、国際沖縄空手道・無想会の世界総本部道場の四段との、「クーシャンクー」の完全解明は頓挫したと記しました。

 ただ、その時に得た多大な収穫もあります。

 それは1700年中頃に渡ってきた、冊封使の護衛として来琉した中国清朝軍の、満人八旗(満州人による正規軍)の将校が伝えた形は、横進行で行われたはずだ! っということです。 

 これ、大多数の中国拳法の套路と同じ様式であり、ナンら不思議はありませんし、「四方クーシャンクー」などと言う形が、現存することからも間違いは、まず無いでしょう。

 次に、クーシャンクーの形では、「空は観ない!」っということです。

 形の最初で礼をした後で、両腕で大きく円を描く、その際に合わせた両手の間から上を観る。すなわち「空を観る!」っと、一部の流会派では解釈されている動作です。

 その為に、このクーシャンクーが日本本土に船越義珍師の手で移入された時に、「観空」なる漢字を与えられました。

 しかし、当然のことながら、「武術として伝承された沖縄空手の形」で、闘いの始め(礼をした直後から、戦いは始まっているはずです・・・)には、空などは観ません。

 あの動作は、相手が自分の襟首を両手で捕まえてきた時に、自分が両手で外している動作が、極端にデフォルメ化したものです。

 「雲手」などと言う名称を与えられた、「二十七戦(二―セイチチン)」などの形にも、同様な動作が残っていますが・・・。この「雲手」の形では、両手が左右に伸びるだけで、「空は観ません!」。

 なお、ここで明確にしておきますが・・・。

 わたくしが述べているのは、「武術として伝承された沖縄空手」っと、その「形」においてであり・・・。

 他の、後に体育・体操化、あるいはスポーツ化された空手の形や、その流会派のことでは無いということです。誤解の無いようにしておいて、くださいね!

 ちなみに、唐手・佐久川が移入した15の形のすべてが、この、「相手から、自分の襟首を掴まれる時に、対応する動作」で、始まっていたはずです。

 「サンチン」などの唐手・佐久川が移入した15の形の一番初めで、基本中の基本の形も、最初から一歩踏み出すのでは無く・・・。

両手を左右に広げて、

両足も、左右一直線に広げるというカタチ

で、あったはずです。

 泊の武士たちに、ワン(王の漢字か?)という名の、中国武官が指導した「ワンカン(王武官)」、「王師父(ワンシュー}」、「王套路(ワンドー・ワンダウン)」の形の初動も、まったく同じです。

 さらに、「武士・松茂良」こと松茂良興作が創作した、「ローハイ(羅漢)」の形にもその動作があります。

 沖縄空手と同様に、中国清朝軍漢人部隊(緑営)の軍事教練が民間に流れて、世俗拳法となったはずの、鶴拳などにもその始動は残っています。

 その套路の最初の動作で、鶴が羽を広げるような動作がそれです。

 なぜ、それらの存在を理解できるのか?

 形の中に存在するコンテクストを理解できれば、簡単なのです。

 さらに、清朝時代の一連の軍事教練のパターンを理解なされれば、体系化することが可能だからです。

 なぜなら彼らは、彼らなりの心身思想・操作、そして彼らなりの文化・習慣にそって、体系化していたからなのです。

 体系化を理解すれば、その全体像が見えてきます。

 そして以前は見えていなかった、クーシャンクーと呼ばれている形の全体像が、今回の再トライでようやく見えてきたような気がします。

 この稿、続きます。