日本の弟子たちへの課題

 本来ならば「対象への純化と、対象の純化」などという、大上段に構えた主題に関して、記していかなければ為らないはずのこのブログですが・・・。

 さらに、風邪のために長いご無沙汰もしていますので、それ以前の主題である「五十四歩(ごじゅうしほ)」の形に関しても、記さなければならいのですが・・・。

 例年通りの風邪で、痰は出るわ、咳込むわ、頭痛いわ、身体中が痛むわ・・・。その上、道場の指導員たちも風邪で休んだり、さらには黒帯連中が妙にやる気になってしまって、黒帯のみのクラスを二時間教える羽目になったりで・・・。

 愚痴の一つも出っても、オカシク無い状態なのですが・・・。

 「愚痴は、負け犬の遠吠えなどでは無い。愚痴を言うから、負け犬になるのだ!」っと、昔に聞いた忠告を思い出しつつ、半分ヤケ〇ソになりながら・・・。クーシャンクーの完全解明にも取り組んでいます(だって、「五十四歩」の形は、解けちゃったからね!=ヤッター!!)。

 以前、クーシャンクーの完全解明に取り組んで挫折した部分は、すなわち平安三段、五段の埋め草の部分です。ちなみに、国際沖縄空手道無想会の「チャンナン(江南)」の形には、その部分はありません=だって、武術的には間違っている。あるいは、意味を為さないな部分だからです。

 では、

1.なぜ? その部分が、クーシャンクーにあるのか? 

2.その意味の無い動作は、もともとは意味があったのか? 

3.意味があったとしたら、どのような意味なのか? っという部分です。

 今回も、松村のクーシャンクー、北谷屋良のクーシャンクー、そして四方コウソウクンを同時進行で解明して、同じ部分で頓挫していました・・・。

 しかし、お蔭様で五十四歩(ごじゅうしほ)の形を完全解明した経験が、生きてきているようでもあります。すなわち「武士・松村」こと、松村宗昆の心身思想っというか、思考方法が読めるようになったという気がするのです。

 ですから、牛歩のごときではありますが・・・。完全解明が目の前です(もうこの部分、祈りにも似た思いです)。

 クーシャンクーの形にある、平安三段、五段の「埋め草」部分を徹底的に掘り下げていって、明確に見えてきたものがあります。なおこの部分は、もう文章で説明しようとすると本一冊分くらいありますので、割愛です。

 その見えてきた部分とは、平安I,II,III,Vの原型であるとして、わたくし・新垣清が再構築した「チャンナン(江南)」の形は、正しい姿である! っということです。今頃そんなこと言われても・・・と言う方もありましょうが、これには、わたくし欣喜雀躍の想いなのです。

 ただ、体育・体操の形である平安の形からの再構築なら、現行の国際沖縄空手道無想会の「チャンナン(江南)」の形で十分OKですが・・・。

 この「江南(チャンナン)」の形を完全な武術としての形に再構築させるには、平安三段の部分で、膝蹴り二回が足されるはずです。さらに平安五段の部分において「折敷(おりしき)=片膝立ち」が逆の足となるはずです。

 1.これは「江南(チャンナン)の形における、どの部分の動作の事なのか?

 2.さらに、なぜそうなるのか? 

 3.なぜ、そうならなければならいのか?

 それを、日本の弟子たちで考えてみてください。

 お蔭さまで、最後の難関であるはずの「クーシャンクー(公総官)」の形の、完全解明が出来る見通しが立ち始めています。それを一年以内には伝授しますので、その時に上記の質問の回答を述べる所存です。

 あと残るは、一つの形のみです。

国際沖縄空手道 無想会 International Okinawa Karate-do Muso-kai