酒を飲む!
昨晩は、久しぶりに酒を飲みました。
別に禁酒状態では無くて(わたくし自慢じゃないけど、禁酒できるほど、そんなに意思は強くないって・・・!)、風邪をここ三週間ほど引いていたので、控えていたにすぎません。
まだブリ返しがあって、咳も痰もでますが、身体の調子は良くも無く、悪くも無いっと言った塩梅です。
でも昨晩の道場での個人練習で、クーシャンクーの稽古をやって、その日の午前中に、国際沖縄空手道・無想会の黒帯のR・S四段との稽古の成果を、確認していました。
その、結果は?
完全に「武士・松村」こと、松村宗昆の心身思想・操作に適っています~これは、弊会の弟子たちには、どのような意味かは分かるはずです~。ヒントを挙げると松村の手(クーシャンクー)のみが、最後の二段蹴り(?)を前方を向いて行います。
その意味は弊会の弟子たちには、「ナゼなのか?」っを説明できるはずです。
他に四方も、前でやりますが・・・。四方の前とは、一体どこ? っという疑問もありますし、後記する岸本系統も前で出す時もありますが、出す場面がまるで違います。
さらに形の始点と終点がピッタリコンと、定規で測ったように合います。
そして松村のクーシャンク―を理解すれば、当然なのかもしれませんが、四方クーシャンクーも、北谷屋良クーシャンクーも・・・。そして、その他の玄制流のクーシャンクー(すなわち岸本のクーシャンクーと言われるもの)も、そして松濤館の観空も、さらに極真の観空もすべて理解できます。
どこが変わったのか、どこに誤解や曲解が生まれたのか? っがです。
形の構造、機能、応用、様式が、四分の一インチ(4ミリメート)の尺度で、理解できるからです。
その後、生徒が帰った後で、道場のオフィスで一人でいました。
このクーシャンクを解明するのに、空手を志して50年以上かかりました。
ですから・・・、道場で一人、嬉しいのか!? あるいは、虚脱感に浸っていたのか!? 分かりません。
酒を飲まずにはいられない心境で、家に帰って酒を飲みましたが、買い置きが余り無かったので、酔うほどまでは飲めませんでした(残念至極!)。
私事になりますが・・・。
幼いころに、空手というわたしの故郷の沖縄が生んだ、心身思想・操作に憧れて「何か、偉大なるもの!」、「絶対なるもの!」の幻影を、そこに見出したかったのかもしれません。
その旅が、一応、終えました。
まだ一つの形が残っていますが、空手とは「クーシャンック―とナイファンチ♪♪」っと言われて育ってきたわたくしには、これで一応終わりです。
その修行過程において、空手とは「カーゴ・カルト」の最たるもの! 空手とは、「アジア的停滞」の最たるもの! ではないか!?
さらには、かの西郷隆盛も座右の書としていた、佐藤一斎の「一灯を掲げて闇夜を行く。闇夜を憂うなかれ。ただ一灯を頼め」っという言葉さえも通用しない、真っ暗闇に置かれて、絶望の淵を漂ったこともあります。
だって、修行の過程で、その掲げていた一灯さえもが、消えてしまったのですから・・。
すなわち本当は、空手の形とは、ダーレもナンにも分かっていないことを・・・。
さも、ナニかがあるかの如く。あるいは、意味あるかの如く。さらには、何時は真伝を得ることが出来るのだ! というが如くの・・・・。
「イワシの頭も信心から」っと、「イワシの頭」を「秘された花」であると思い込んでいた、自分の惨めたらしさに対する絶望です。それはわたくし個人に向けてであり、そのような文化しか持てない、我が故郷に対してでもあったのかもしれません。
しかし、いま松村宗昆の手を全て理解した上で記せることは、わたくしの修行とは、精神的に一番つらい時期を辛くも乗り越えた際に目に留まった文に、その全てが表されていると思います。
それは明石海人の、「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ、どこにも光はない」っというものです。ハンセン病という、当時は不治の病にかかっていた人間の決意とは、生半可なものでは無いはずです。
畢竟、それが釈迦が言う、「自灯明」っということなのでしょう。
いま、想います・・・。わたくしが生涯をかけて求めていたことは、「信じること」では無いのです。
わたくしが欲していたのは、「理解すること!」だったのだなぁ~。っと。
それは、ガリレオが「地球が、太陽の周りを回っている!」っと理解したように、あるいはニュートンが万有引力を理解したように・・・。
これは「太陽や星が、地球の周りを回っている!」っと信じることとは、まるで真逆に位置する、人生への向かい方だと思っています。
そしてわたしが理解できた沖縄空手の全てを、今度は弊会の弟子たちに理解できるように、指導・普及することが次なる仕事なのでしょう。
頑張ります。
今日も、酒、飲もっと!
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