形を作るな!
「武士・松村」こと、松村宗昆のパッサイ(八十一戦)、ごじゅうしほ(五十四歩)、そしてクーシャンクー(公総官)の形を、立て続けに完全解明したことで、やや我ながら茫然としているというか・・・。
じつは、満足感よりは、虚脱感の方が強いです。
そのために、形における「対象への純化と、対象の純化」に、まだ筆が及びません。
なぜここまで体力、気力を使い果たしてしまうかの一つの大きな理由とは、わたくしは、「形を創作しない」からだと思います。
これは、国際沖縄空手道・無想会の世界総本部道場で、わたくしの形解明の相方を務めてくれている、R・S四段とも完全な了解をとっていることですが・・・。
形の完全解明を試みる際に、「新たに、形を創作してはならない!」っと、肝に銘じて解明に取り掛かっています。
明治以後の空手界においては、形を創作した人間はある一定数は存在しますし、創作した流会派も多数あります。
しかし、そのどれもが「武術としての空手の形の構造・機能・様式・応用」を理解しておらず・・。さらに、形におけるコンテキストの存在を知らないために、体育・体操、あるいはスポーツ的には何ら問題は無いのでしょうが、武術的には意味が皆無な形っとなってしまっています(文責・新垣清)。
そのために、上記の形における必然事項を理解した上で、武術的にそれらの形を解明しようと試みると、「アアッ~、この形は、武術的には意味が無いのだな!」っと、明確に理解できてしまうのです。
これが、明治後の諸流会派の形ならば・・・。
近代化に合わせて、体育・体操、スポーツ、組手競技、形競技、リクレーション、エンターテインメントのために形を創作したのであって、武術としての形では無い!
っとの、大義名分もたちます。
そして通常は、創作した個人や流会派も、明確ですし、古伝の形には当てはまらないので、わたくしの形の解明の対象にもなりません。
しかし、琉球王国時代から伝わったと主張し、さらに「一子相伝」などと、自称している流会派の形の場合は別です。
じつは上記の、武術としての形の必然事項を満たしていないために、「一子相伝」などと謳っていても、「琉球王国時代の沖縄で、このような形の有様が存在する訳が無い!」っと、すぐに理解できてしまうのです。
すなわち「一子相伝」などを謳ってはいても、そのじつは近代になって、上記の形の必然事項を理解しないままに、「武術としての空手に関しては、素人同然の人間が創作してしまったのだ!」っと、すぐ分かってしまうのです。
このような現象は、混沌文化、または「カーゴ・カルト」、あるいは「アジア的停滞」を根源的に抱える空手の伝承における、一種の悲劇であり、ある意味においては喜劇なのかもしれません。
しかし、大言壮語するようですが、わたくしのような浅才を省みずに、空手の形の完全解明に、命がけで取り組んでいる人間にとっては、困った問題が生じるのです。
なぜなら、形の全てを理解する際には、「古来から伝わっているのだ!」っと謳っている流会派が有り、その形が存在するならば、それを無視して武術として伝承された沖縄空手の形の完全解明を進めていくことは、不可能だからです。
そのために、「この『一子相伝』を謳った流会派の歴史も形も、すべて近年の創作である!」っということを理解することに、時間や労力を費やすこととなってしまいます。
でも・・・、それは、「悪魔の証明」とも言えるものであり、それに割く時間や、労力は完全に無駄なものなのです。
そんな無駄なことに費やす時間など、わたくしにはありませんし・・・。どんな人間にも、無いはずです。
我が国際沖縄空手道・無想会とは、「武術として伝承された沖縄空手の再興」を謳い上げている団体です。
その為に、わたくしと相方を務める四段の黒帯は、その形の優劣は別として、武術としての形を創作できるまでの、知識と技量を有するまでの修行を課してきました。
っが、「武術として伝承された沖縄空手の再興」のためには、新たに形を創作することとは、無駄なことであるのだ・・・。やっては、イケないことなのだ!
っとの、明確な認識のもとに、上記の「形の構造・機能・様式・応用」っと、「コンテクストの存在を認識」して形を解明する際に・・・。
「エビデンスの無い」、すなわち形を説明する際に、形の中に「証拠の無い」、あるいは「根拠の無い」動きは、どんなに自分たちが正しいと確信していたとしても、形の解明に使用しない! そして自らの形を創作しない! っと決めてあるのです。
この証拠、エビデンス、根拠を探し出して、自らの仮説を立証させ「形を使う」っということは、非常に厄介であり、根気のいる、骨の折れる作業です。
それらの困難を乗り越えて「ナイファンチ(内帆船・南方拳の漢字か?)」、「パッサイ(八十一戦)」、「ごじゅうしほ(五十四歩)」、「ローハイ(羅漢)」の再生。そして平安I,II,III,Vの原型であるはずの、「チャンナン(江南)」の再構築。
そして今回、「クーシャンクー(公総官)」の、計六つの形を完全解明しました。
長い年月の間、相方を務めてくれたR・S四段に、心からの感謝の意を表します。
松村の手で、残るはあと一つの形です。その完全解明が終了すれば、首里手、沖縄手、そして空手の完全解明が、終了する時だと思っています。
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