「形への純化」だけを果たしても、意味は無い。
本ブログでは、「松村のクーシャンク―(公総菅)」の完全解明の事柄に、大分時間を取られたのですが・・・。
そろそろ武術として伝承された、沖縄空手の形という「対象への純化と、対象の純化」にハナシを戻しましょう。
拙著「沖縄武道空手の極意」の、「その四」あたりを記していた時期の前後までは、わたたくしは、既存の「沖縄空手の形は、琉球王国時代に武術として伝承された、そのままのカタチで伝承されている」。
だから、その形が要求する「武術的心身操作」さえ理解して、自分がそれを操作できるようになれば、武術としての沖縄空手の形は、「そのまま、実際に使えるのだ!」っと信じていました。
すなわち、武術としての沖縄空手の形という「対象」に対して、体育・体操的、あるいはスポーツ的になってしまっていた、自らの心身操作を武術的に昇華することこそが、「武術的稽古」であると信じて疑いませんでした。
そのために、「形はナイファンチで始まり、ナイファンチで終わる」っという言葉を信じて、空手の形の再修業を始めました。
その再修業は、当初は三年を予定したいたのですが・・・。浅才の身なので、三年では足りません。その後二年ほどかかり、最終的には五年ほどかかりました。
最後の二年は私生活的、経済的には、地獄の如き有様になりましが、どうにか再修業はやり遂げることが出来ました。
その過程で、ある程度において東洋心身思想における、心身操作の全貌を理解できるようになり、前記の「ナイファンチ」の初段と呼ばれる部分の心身操作を、すべて解明し、行い、かつ説明できるほどに修行をしてきた心算です。
すなわち、ナイファンチの形というものにおいて、自らの心身でナイファンチ(初段)の形を、武術的心身操作を学ぶために、効率よく利用するには、自らの心身を「純化する」ことを果たし得たということです。
そのナイファンチの修行の過程で、現存するナイファンチの形や、その他の沖縄空手の形とは、「ホントウは、使えないのだ!」 っと気づき始めました。
その為に、東洋的心身操作が理解でき、自分でも出来るようになったアカツキには、「自らの心身を、東洋心身文化を使い熟せる純化」のため(だけ)に、ナイファンチの形を稽古するのだ! っと思っていたのです。
「心身の純化」のための、形の存在です。
すなわち・・・、このナイファンチ(初段≒他の形も)とは、東洋の心身思想・操作の原理・原則を修行者に示すものであって、実際の戦いとはナンら関係が無い。すなわち、戦いにおいて使えるものとしては、創作されたものでは無いのだ! っと思ってしまっていました。
極論すれば、ラジオ体操でも、東洋の心身操作でやってしまえば、空手の形を修行すると同様の結果になるのだ! っということです。ただ西洋心身文化の体育・体操、スポーツの影響の強いラジオ体操とは違って、東洋の心身操作による突き蹴りが、空手風に入るから、空手の形になるのだ! との認識です。
でも、そんな空手の形でも、近代に入って行われる、西洋心身文化の影響にのある突きや蹴り(パンチやキックとしても良いでしょう)を学ぶよりは、マシであり、そこに空手の形を学ぶ利点があるのだ! っと考えていたのです。
「武術としての沖縄空手の形」とは、武術的心身操作を会得するため(だけ)のモノであり、それ以上のモノでは無いと結論づけました。
当時のわたくしの想いとは、現在の空手界において、形・型と組手はまるで別のものであり、形と実際の戦いには、ナンら関連性は無い! っとする考え方と、まったく同様な思考方法であったのです。
すなわち「武術として伝承された沖縄空手の形」を効率よく利用するには、形という「対象への(自らの心身の)純化」は必要である。
しかし上記したように、正しい稽古によって形という「対象への(自らの心身の)純化」を果たしたとしても、形そのものは、心身の純化を促進するためのみ存在するのであって、形そのものは「使えない」のだ。
いや・・・!、形を使うとは、形で東洋の心身操作の原理・原則、すなわち身体操作の業(わざ)を学ぶものであって、闘いそのものとはナンら関係無いとも思っていました。
すなわち空手の単独形は、一人で行う戦いのパントマイムであるということです。
それも多くの場合には、四方八方に多数の敵が居て、それをバッタ・バッタと芝居や映画の殺陣のように倒していく、っというものです。
琉球王国が崩壊した後で、すべての空手家が当時のわたくしと同様な、間違った思いをもって、形の修行を行っていたはずです。そのために近代になって、「形を使える人間」は皆無です。
詳しく後記する予定ですが・・・。これはわたくしが二十年前にその間違いに気づいて、その後に多くの書物やDVDを出したにも関わらず、わたくしの知る限りにおいて、現在でも国際沖縄空手道・無想会以外の全ての流会派で、いまだに信じられている間違った認識です。
さて、再修業におけるナイファンチの修行と一言でいいますが・・・、体育・体操、スポーツ、競技、リクレーション、エンターテインメント化してしまったナイファンチの形を、武術的に理解するためには、他の空手の形も詳細に研究し、自らの心身で試す必要がありました。
幸い、わたくしの修行時代の沖縄においては、流会派の別などというものは余り無く、かつ親族、知人、友人に空手をやっていた人間が多数いたために・・・。
わたくしは自分が直接、徹底的に遣らされた形とは他に、他の空手流会派の形を見よう見まねで数多く学んでもいました。当然使えるレベルではありませんが、一応抑えて於けるということです。
結論から言うと、武術としての空手の形という対象に、自らの心身操作を純化させても・・・。あるいは空手の形の修行によって、己の心身を武術的に操作できるようになったとしても、「空手の形とは、使えないものだ!」っということです。
大いなる失望ですし、絶望としても記しても良いでしょう。
わたくしの個人史において、「掲げていた一灯」が消えてしまい、完全に真っ暗闇の中に、一人で置き去りにされてしまった瞬間だとしても、良いでしょう。
しかし・・・、絶望を辛うじて乗り越えて、これらの形をナイファンチの稽古と並列して行っていくと、あることに気づき始めました。
それは沖縄空手の形においては、首里手、泊手、そして古流・那覇手、新興・那覇手の別を問わず、共通する動作がある!っと、認知しました。
でも当然のごとく、その共通する動作とは、一体どのようは意味であるのか? などは、自分の考えの範疇には有りません。ってか・・・、明治以後の空手家で、このような思案をした人間は存在しないはずです。
この同様な動作の意味とは、一体どういうことなのだろうか?
ようやく五年もの歳月に渡った、惨劇とも言える修行が終わったのに・・・。新たな修行を始めなければならない羽目に、陥ってしまったのです。
それは、「武術として伝承された沖縄空手の形」という「対象の純化」への、新たな課題への挑戦の始まりでした。それは、今も続いています。
この稿、続きます。
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