空手の形が使えない三つの事情
前のブログ「空手の形は、ハチャメチャなのか!?」からの続きです。
筆者・新垣清は、自らの「武術として伝承された沖縄空手の形」という、「対象への純化」を果たす修行を終えた際に、気づいたことがあった。
それは明治以後において、空手の形は沖縄、日本本土を問わず、誰も「形を使う」ことは適わなかった。っと理解したと記しました。
そのことを確信したあとに、三つほどの疑問が沸いてきました。それは、
1.その使えない形とは、もともとは使える形であったのが、伝言ゲーム方式で伝承されたために、使えなくなってしまったのか?
2.近代化の日本国内で普及させるために、体育・体操、スポーツ、リクレーション、エンターテインメント、競技化をしたために、使えなくなったのか。すなわち意図的に、牙を抜かれてしまったのか?
3.最後に、もともと琉球王国時代においても形は使うものでは無く、心身の武術的な純化を図る道具でしかなかったのか?
の以上・・・。三つほどの疑問に、要約されると考えました。
まあ・・・、個人的感想を述べれば、最悪なのは#3の場合です。
だって、近年この方、「空手の形は、使える!」。「使えないのは、われわれ修行者の稽古が、足りないからだ!」っと言われて、多くの空手家が必死に稽古に励んできたのですから・・・。
もし#3が、真実ならば、「イワシの頭も信心から」どこでは無く、「裸の王様」の童話そのものです。すなわち、「信ずるモノは、騙される!」の典型的な例となってしまいます。
その疑問への回答に非常に役に立ったのは、今は無き「月刊・空手道」っという雑誌に、10年以上の長期に渡って、わたくし自身が連載していた「空手三国志」っという歴史の記事です。
その連載を記すにあたって、わたくしは出来る限りに空手と、それに関連する琉球王国、日本本土、中国、そしてアメリカの歴史を調べ上げました。
するとどうやら、#2が空手の形の伝承には当てはまるらしい・・・。っという空手の修行をするわたくしにとっては、嬉しい考察が生まれてきました。
ナニが、嬉しいのか!? だって、体育・体操、スポーツ化のために、「牙を抜かれた!」っとするならば、モトモトは「牙はあった!」っということになりますからね!?
その牙とは、ブッチャケていえば「殺傷能力があった!!」っということです(言葉キツイから、誤解しないでね!?)。
さらにこの#2の出来事の後に、#1の「伝言ゲーム」方式で伝承されて、空手の形は「牙を抜かれた」っという出来事さえもが、忘れ去られてしまった。
その後に、牙を抜かれた状態のものを、もともとの形の形態であると誤解してしまって、武術的に解明しようとしてしまって、現在の混沌っというか・・・!?
まあ哀しいけど、「カーゴ・カルテ」の典型のようなものが、出来上がったということだと、理解できました。
その「カーゴ・カルト的」な空手の代表的なものは、空手とは、徒手格闘における、打撃系統(のみ)で構成されている、格闘術である! っというものです。これは、完全に間違いです。
だってそんな「打撃系統(のみ)の格闘術」などというものは、今度の戦いは「打撃系統のみの業・技を、使用します」っという、ルールが存在するから生まれてくるからです。
それは「組技」、あるいは極端な場合には「寝技」などに特化した、格闘術の誕生の場合も同様です。
実際の社会における戦いにおいては、そんなルールは存在しません。
打撃の間合いが詰まれば、後は組打ちに移行します。だって審判が「マッテ!」っと間に入って、「元の位置!」っと言って元の打撃の間合いに戻してくれる訳は、ないからです。
あるいは、突然組打ちから始まる場合もあったでしょうし・・・・。さらに組打ちでも、非常に殺傷能力の高い方法を取ったはずですし(首です≒これは弊会の弟子なら、もうご存知でしょう)・・・。
闘う方法の異なる、不特定多数の人間と、千差万別の場所で戦う、戦場での戦いと同じように、「寝技」などは存在する余地はなかったはずです。
さらに戦場で戦う軍隊の集団戦法とは異なり、個人の武芸となっていた日本剣術の影響と、琉球王国の特殊な事情。
そして「武士・松村」に代表される、首里武士たちの職業的ニーズによって空手の形は、もともとの中国清朝の軍事教練の徒手格闘術の套路から、改変(本質的には、換骨奪胎の再構築です)されたはずです。
すなわち「武術として伝承された沖縄空手」とは、そして「沖縄空手の形」とは、
徒手総合「殺傷術」
なのです(言葉キツイので、誤解無きようにお願いします)。
真っ暗闇の中で、「掲げる一灯」さえ失ってしまったわたくしでしたが・・・。一応は、ここまでは空手の形の伝承における喪失っというものが、整理でき理解できるようになりました。
ようやく、すこしの救いが、見えてきた瞬間です。
この稿、つづきます。
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