「対象の純化」への過程
前回ブログの 空手の形が使えない三つの事情 からの続きです。
武術として伝承された沖縄空手と、その空手の形を修行して、どうにかこうにか、拙いながらも、形という対象物が要求する自らの心身を、「純化」できるまでの修行を、果たすことが出来ました。
でも、形は使えません。
マコトに、困ったことです!
しかし、それはもともと空手の形が使えないのでは無く・・・。
近代化の波に乗り遅れないために、武術としての殺傷術である空手の形を、体育・体操、スポーツへと変革した。
そして、その変革したことさえも、伝言ゲームのような伝承体系によって失念されてしまい、もともとの動作とその意味が喪失されてしまったのだ。
っということを、辛くも認識しました。
この時ほど、自分が空手と沖縄、日本本土、中国の歴史を、拙いながらに研究していたことに、感謝したことはありません
すなわち、「武術として伝承された沖縄空手の形」という「対象の純化」を果たさなければ、「武術としての沖縄空手」を習得することは、不可能だということです。
でもそれは、マコトに幸いなことに・・・!
武術としての空手の形とは、もともとが無意味な存在なのでは無く、伝承体系の不備の結果でしかない! っという、空手を修行するわたくしにとっては、嬉しい結論なのです。
すなわち体育・体操、スポーツ化のために「牙を抜かれた」空手の形を、「武術として伝承された沖縄空手の形」へと、「純化」させてしまえば良いのです。
でも、その後に、次なる疑問が生まれました。
では・・・現代の空手家が、その武術として伝承された沖縄空手の形へたどり着くことは、可能なのか? っというものです。
すなわち「武術として『純粋』な、沖縄空手の再生は可能か?」 っという、非常に直截的な疑問が、わたくし自身によってわたくし自身に、突き付けられたのです。
ウンンッ~! マコトに、厄介な疑問です。
だって、わたくしの知る限りにおいて、明治以後のこの百五十年前後において、そのような考えを持った空手家も、さらにはそれを成し遂げようとした空手家も、存在しないからです。
でも、もうそう言うことは、当時の「掲げた一灯」が消えてしまって、真っ暗闇に置き去りなってしまったわたくしにとっては、余り関係の無いことでした。
ここまで来れば頼れるものは、「自らが放つ灯」以外にはありません。
真っ暗闇の中、その灯で周りを照らしながら、オズオズと進んで行く以外に方法が無いのであれば・・・。
あとは、それを遣るだけの覚悟と行動力が、わたくしにあるか? どうか? の問題だけです。
この答は、簡単でした。
「遣る!」、っということです。
だって、長い再修業の結果として、自分の人生には、もう失うモノなど・・・、何一つ残っていなかったのですから・・・。
正直に記しますが、あとは自分の身の始末さえ他の人間の迷惑に為らなければ、OKよ! っという結論に、(簡単に)行きつきました。
すると、次の疑問が沸いてきます。
武術としての形へ純化するなどと記せば、簡単なようですが・・・。これは幼稚園児の乗る三輪車を、F-1車に戻す! っという途方も無い企てです。
闇雲に初めても、すぐニッチもサッチも行かなくなるのは、目に見えています。
そのためにモトモトは存在したであろう、「武術としての沖縄空手の形」を再生させるためには、ナニから? ドコから? 手をつけて行けばよいのか? っという疑問が沸いてきました。
でも・・・。これも割合、簡単に答えが出ました。
「ナイファンチ(内帆船、あるいは南方拳の漢字か?)」、あるは「平安(ピンアン)」、または「太極(たいきょく)」の形です。
まず、「ナイファンチ」は自らの身体を武術的に「純化」するために、五年に渡って修行した形であり、心身操作であるならばその全てを把握している! っという想いがありました。
次に「太極」なる形は、近代に入って体育・体操用として創作された形です。
しかし、武術的に「ナイファンチ」をマスターすると、「太極」とは横一直線の「ナイファンチ」を、縦にした形だとも言えるものなのです。
そのために余談ですが、国際沖縄空手道・無想会においては、「ナイファンチ」の形の習得が終われば、「太極」が次の習得する形となります。
「平安」の形も、体育・体操用に創作された形ですが・・・。この形は原型の「チャンナン(江南の漢字か?)」の形というモノから、分割されて、武術的動作を体育・体操的な動作に変革されたものだ。 っという口碑があります。
ならば、その逆を辿っていけば、体育・体操の形から、武術の形を見出すことが可能である。っと考えたからです。
この稿、つづきます。
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