形の中にある「確固とした法則」
さて、前回の受けは意味を為さないの続きです。
武術として伝承された沖縄空手の形には、明治後のわれわれ空手修行者が喪失してしまった、「確固とした法則」が存在する!?
っとの確信が、空手の形という「対象の純化」という、壮大な試みを図る修行を続けていて、生まれてきました。
でも、その法則がナンであるのか? 皆目見当がつきません。
では、一体ナニをしたのか!?
毎日毎日、国際沖縄空手道・無想会の世界総本部道場で一人、一日中、形をやっていました。
でも、この段階では「形を使う」ことが出来ませんので、ある意味においては、形を演じていただけだとしても良いでしょう。
アッ! 武術的心身思想・操作は、もうこの時点で完璧に近いほどに、習得していましたから・・・。
形という動作の連続によって、自らの武術的心身操作を練ることは可能でしたので、それは遣っていました。すなわち、業(わざ)を練ることは可能だったのです。
それを、弟子たちを相手に、所謂「乱取」「組手」などで、技(わざ)にするという塩梅です。
すなわち、「形の中の、この動作と、闘いの中の、この「技」は、何処となく似ているから・・・」。
だから、「形の中の、この動作を、闘いの中で、こう言う風に変化させれば、こういう「技」として使える!」 っといった塩梅で稽古していました。
これって、いわゆる、「似たモノ、探し」を遣っているのです。
非常に効率が悪いというか、一体ナンの為に形を遣っているのか? まるで分かっていない修行・稽古です。
だって、人間は手(腕)が二つ、足(脚)が二つしか無いんですよ。それで似たような動作を探そうとするば、百万どころか∞に出てきますって!
こんな稽古を百年やっていても、形を「使える」ためになるような、答えはナニも出てきません。っが!、これ以外に、方法論が無いのです。仕方が、無いのです。
さらに、これって、もう読者の方々はお判りのように、明治後の全ての空手修行者、空手流会派がやっている練習体系なのですよ。
わたくしと、他の方々との違いは・・・。幸いなことに「ナイファンチ」の徹底的な稽古によって、わたくしは武術的心身操作の「純化」だけは、果たしていたということです。
だから、この時期はまさに「数稽古」のみです。しかし我田引水のようですが・・、ただ数を熟すだけでは無く、この動作の裏に「ナニかないか?」。「ナニかがあるはずだ!」との、祈りにも似た想いで、数限り無く形を遣っていました。
本、動画、(先輩、知り合いへの)電話などなど、言葉は悪いけど(ゴメンなさい)、利用できるものは、全て利用しました(感謝です)。
でも、ダメです! ナニかが、見えません。ナニも、見えてきません。
ダーレも、「武術として伝承された空手の形」への「純化」などという、寝言とも思える事柄に、注意を払う人間はいませんし・・・。
って言うより・・・・。
現行の空手の形は、武術として「純化」する以外に、「使う」ことは不可能なのだ。っという感触を掴むまでの修行を、ダーレも行ってはいないのだ! っという厳然たる事実を、突き付けられただけです。
でもこの時点では、すでに真っ暗闇を、「自らを灯」として歩く覚悟は、もう揺るがなくなってはいました。
ですから、わたくしはわたくしの手元に残っているもの、すなわち空手の形で、その「純化」の過程を、わたくしの心身で掴む以外に無かったのです。
そして、やはり鍵は「ナイファンチ」が与えてくれました。
以前に記した 受けは意味を為さない の二つの異なる動作です。それも最初の肘当てから、片方の手は胸の横、別の手(腕)は身体と床に平行で、一直線で胸の前という動作です。その後に平行であった腕は、身体の横側に所謂「下段払い」の動作を行います。
その動作を、肘当てから下段への払う動作まで非常に素早くやると、一瞬ですが、自分と仮想の敵である、相手との相対関係が明確に見えた瞬間があるのです。
「アッ!」っと想いました。「開眼」っという言葉が、これほどビビットに頭の中で、電光のように奔った瞬間はありません。
「これって、もしかすると・・・!?」
この稿、続きます。
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