「五十四歩の形」を解く
前回のブログで小渡世吉(おど・せいきち)・師の「ごじゅうしほ・一」の形は、「武士・松村」こと、松村宗昆が移入した「ごじゅうしほ」では無く。
それより5、60年前に「唐手・佐久川」が移入した、「ウセーシ(五十四)」と呼ばれる・・・。
中国・清朝軍漢人部隊で、福建省の琉球館を護衛していた把門(アーナン)、把門官(アーナンコー)と呼ばれる護衛兵の、軍事教練の徒手格闘術の9番目の形ではないか? っと、筆者・新垣清は推察していると記しました。
想うに・・・、琉球王国時代の首里の武士たちには、中国とは大清国っと呼ぶほどに、尊敬の対象ではあったのですが・・・。
「こと武に関しては、われわれが習得した日本剣術が上だ!」っという、心身思想・操作に対する認識があったような気配が感じられます。
そのために、松村宗昆が移入した緑営の集団で行う軍事教練の徒手格闘術を、自らが習得した日本剣術で改良します。改良と言うか、完全な換骨奪胎です。
そして国際沖縄空手道・無想会の世界総本部道場で、わたくしと本部正指導員のR・S四段が、この松村の「ごじゅうしほ」の形を完全解明を果たしました。
その時に、上記の小渡師の「ごじゅうしほ・一」-または、これこそが「ウセーシ」と、呼ぶべき形なのかもしれませんが・・・、この形を参照にしました。
しかし、その困難さは、非常(非情?)なもので・・・。まずお知らせ・その2 に記した動画を観てもご理解できるでしょうが・・・。各個人、各流会派で形が違うのです。
第一、最初の動作からまるで違うのです。ナニがナンだか、皆目分からん! っと言った塩梅です。さらにアッチに行ったり、コッチに来たりと、演武線の存在がまるで見えません。始点と終点の一致など・・・、考えるだけで無駄! っという塩梅の形もあります。
あの「武士・松村」とも言われた人物が移入し、改良した形が、こんなモノか?っと誰しもが思うはずです。
しかし、わたくしは「コウでは、無いはずだ!?」。「この様なものでは、無いはずだ!?」っという確信がありました。
それは、「ごじゅうしほ」の完全解明を試みる前に、前回の日本縦断セミナーで伝授した「パッサイ(八十一)」の形の、完全解明を果たしていたからです。
確か、安里安恒師が当時の新聞に記していますが・・・「速さを取るなら、パッサイ」っという一文があります(この辺)、ウル憶え)。
わたくしが完全解明を果たし、伝授した「パッサイ(八十一)」の形は、闘う人間の動きとして、これ以上速い、早い、疾い動きはマズ無いはずです。すなわち、安里師の言葉に違わない形なのです。
これは首里手、沖縄手、そして空手の形の基本、究極である「ナイファンチ(内帆船、または南方拳の漢字か?)」の形の初動も、同様です。
そんな松村の手(形)が、初動の動きが多種多様、一体何を遣っているのか、皆目不明。さらに、次の手綱受けという呼称のある「受け?」なる動作も、意味不明。
次の蹴りも・・・、さらにわたくしがロコモーションとも呼んでいる、機関車を連想させるような動作、横にヨロヨロ(?)と動くので酔拳、あるいは酔羅漢の動きだ! とも言える動きなどの頻発などなど、数えきれないほどに「????」が出てくる形です。
さらに、形の中に存在するであろう、「コンテクスト」に照らし合わせてみても、ゼンゼン意味を為しません。
これでは、「形を使う」どころのハナシではないのです。
正直に申しまして・・・、わたくしが沖縄での修行時代にこの形が嫌いであったのは、上記の事柄を明確には理解してはいなかったとしても・・・。
この形と自分が、皮膚感覚でどうもマッチしない。という想いがあったのかもしれません。
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