ナイファンチを卒業せよ!
今回は「ごじゅうしほ(五十四歩)」の形を、伝授する予定です。
少し厳しい言い方になりますが・・・。そろそろ一部の日本国内の弟子たちは、ナイファンチの形を卒業する時期に来ておらねばなりません。
確かに武術としての沖縄空手の形は、「ナイファンチに始まり、ナイファンチに終わる」のですが・・・。
日本国内の一部の弟子たちは、まず「始まりを、終わらさなければ為らない」時期にそろそろ差し掛かっているはずなのです(?っと思いたい・・・)。
私事になりますが・・・、わたくしはナイファンチの形の修行が一通り終わった後で、その他の首里手(含・泊手)系統の形を武術的に純化し、かつ自らの心身を武術的に純化しました。
その武術としての空手の修行過程において、「武士・松村」こと、松村宗昆の形を理解すること無しに、空手を語ることは不可能である。とまで思っています。
明治以後の空手界において、ナイファンチを武術的に修行した人間は、多数は存在しません。下手をすれば・・・、皆無かもしれません。
しかし幸いにも、国際沖縄空手道・無想会の日本国内の弟子たちは、わたくしの指導に良くついてきてくれ、どうにかこうにか、武術としての心身思想を理解し、かつ操作できるまでの段階にはこぎ着けてきています。
しかし、これは初歩の初歩。あるいは、基礎の基礎。または、基本の基本です。
そろそろ、ナイファンチを卒業する。すなわち「修行の初めを、終わらす」ことが出来る人間が出てきても良い頃だと、愚考しています。
そこからが、武術としての沖縄空手の真の修行が始まるのであり、「武士・松村」の片鱗に触れることが、可能になる境地でもあると思っています。
再び誠に幸いなことに、2020年ごろには日本国内初の昇段審査が出来る予定でもあります。最大数で20名前後の黒帯が、ここ数年で誕生して欲しいと思っています。
武術として伝承された沖縄空手の最初の形である、ナイファンチの形を知り尽くし、その操作が行える人間が日本国内で、徐々に生まれて行くということは・・・、
武術として伝承された沖縄空手の歴史・技術・思想体系が、当たり前の空手の修行として、日本国内に普及していくことでもあります。
すなわち、武術としての空手の最初の形である「ナイファンチが、出来て当たり前」、「ナイファンチを、理解できて当たり前」っという人間が生まれ出てくるということです。
そして、次に問題になるのが「では、ナイファンチの次はナンであるか?」っという、厳しい問いになるのでしょう!?
その当たり前のことを為し、次の問いに備えるために、いま現在の弊会の修行があるのだと思っています。
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