滔々たる歴史の海で泳ぐために
本ブログは、叱咤激励しちゃった!の続きです。
初心者、あるいは黒帯前の生徒に関しては「分からないから、出来ない」っという当たり前の事です。
ですから・・・、これはもう「大丈夫、出来るよ」、だって「サルでも、アラカキでも出来るのだから・・・」。いわんや、「あなたが出来るのは、当然です!」っという風に勇気づける、あるいは褒め殺しするほどに、ホメて遣ることが肝心です。っと言うか・・・、それ以外に方法はありません。
だって、いま教えてる上達の先を行くかのような、あなただって「最初の頃は、こうだったのよ!」っと言われたら、誰も返す言葉は無いでしょう?
しかし、これが黒帯のレベルになると、ハナシは違ってきます。
やはり、後に続く人間たちの模範になる、心身操作を遣ってくれないと困ります。
さらには、武術として伝承された沖縄空手の心身思想を、言葉で上手く伝達できるようにならなければ困ります。
それには、初心者をその気にさせる言葉も必要です。
そして、その背後にある空手の歴史も、チャンと説明できなければ困ります。
っと、なってしまいます。
ただこの黒帯レベルの修行者を、叱咤激励する時の言葉は、空手において「今まで自分が来た道程を辿ってみて、一体自分がどれほどの距離を歩んできたのか!」っということを、「自らに、問うてみよ!」っという塩梅で納得させます。
これは、自慢ではありませんが・・・。
日本国の、どの空手家(すなわち、空手経験者という意味です)も、弊会で二年、三年を過ごせば、その始点から現在自分が立って(あるいは経って)いる場所を認識した場合に、驚愕する想いがあるはずです。
いわゆる「思えば、遠くに来たものだ!」っという気がするはずです(まあ、まだ行く道は、険しく遠いけどね・・・・)。
そこまでの違いが、分かるはずです。
ですから・・・・、「ここは、出来ない」。あるいは「ここは、出来てない!」っと言った。あるいは言われた箇所でも、今まで自分が辿ってきた道程からみたら「大した事ないよ!」っと思う。あるいは、思い込むことが可能になるのです。
文字通り、「サルでも出来る、アラカキでも出来た」。上達に関しては、ほんの少し先を行く「あんたも、出来た」。ならば、「私でも、出来る」っということにすれば良いのです。
上記の初心者に対する他者(指導する人)からのオダテでは無く、己の修行の過程で培われた自信に頼れば、良いだけのことなのです。
出来ないこと、知らないことは、恥ずかしいことでは無いのです。
出来ないことを、分かろともしない。または、知ろうともしないことが、恥ずかしいことなのです。
さらに、他人の出来ないことを笑い、不必要に叱責することこそが、恥ずかしことなのです!
国際沖縄空手道・無想会の日本国内における普及活動は、開始から数えて約十年弱です。
わたくしは以前のブログで弊会の空手と、その普及活動とは盆栽では無く、植林なのだ!と明記しました。
極論すれば、盆栽は台風になれば、屋内に仕舞い込むことが可能です。大雨の時も、大風の時も、日照りの時も、大雪の時も同様です。
でも山に植えた樹は、深く地面に根を張って、自らの力でそれらの自然の猛威に堪えて・・・。自らが、自然の一つとなっていくのです。
そして
樹を植えることで、山を形成し、山が河を育て。
そして、河が海を豊かにする。
のです。
さらにポール・ヴァレリー(だったと思う?)の、この豊かになった海に身を任せる。 すなわち
「滔々たる歴史の大海に泳ぐ」
という意味の言葉のように・・・・。
わたくしは、歴史の大海に泳ぐことこそが、歴史を知り、歴史を活用することだとも思っています。
そして、大言壮語かもしれませんが・・・。
その大海の肇が、我々が山に樹を植えることなのです。
ですから、「武術として伝承された沖縄空手の再興」っという、歴史の1ページを始める・・・。
すなわち「隗より始め」の「隗」に、わたくしを含めた、われわれ国際沖縄空手道・無想会の会員一人一人が、成ることが必要だと思っています。。
いま弊会においては、幸いにも日本国内で、山に樹を植えるための苗木が、徐々にではありますが育って行っています(関係者の努力、ご尽力、ご協力に感謝です!)。
この苗木を、近年中に山に移植することが、可能になるのやかもしれません!?
そのためには一日でも早く、一人でも多くの弟子たちに「ナイファンチの形」という苗木の段階を卒業させ、山へ植林を始めなければならない。っと思っています。
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