無想会空手とは何か? その一

 ここで無想会空手とは、一体何を目標としているのかを明記します。

 それは、「武術として伝承された沖縄空手の再興」です。

 

 わたくしは、そして弊会は、空手の競技化を否定しません。

 それは組手であれ、形の競技であれ、素晴らしいものだと思っていますし、わたくし自身は空手のオリンピック参加にも大賛成です。

 なぜなら、それこそが「近代空手の祖」として良い糸洲安恒・師が望み、多くの沖縄の空手家たちが賛同して、行動に移したものだからです。

 

 さらにその考えを元に、「日本空手道の父」としても良い、日本本土に渡って空手を広めた船越義珍・師を始めとする、沖縄の空手家たちが夢にまで見たことなはずだからです。

 その人々は思いつくままに名前を挙げれば、屋部憲通・師、花城長茂・師、摩文仁賢和・師、宮城長順・師などの諸先達の方々です。

 しかし、ここで明確にしますが・・・。

 彼らが目指したのは「武術として伝承されていた沖縄空手」の、体育・体操化、スポーツ化なのです。

 それは、戦場での戦いの術であった日本柔術が、日本柔道に・・・。あるいは、合氣道に・・・。または、日本剣術が剣道に変革されて、現代の安全な競技となった。あるいは、稽古事となったのと同様なことでです。

 日本剣術と現代の竹刀競技は、まったくと言って良いほどに別なものです。

 そして日本剣道型なるものの、本来の日本剣術の型とはまったく別のものです。・・・が、ここでは門外漢のわたくしが述べることでは無いので、割愛します。

 それと同様に、

現代の空手の形と、

武術としての沖縄空手の形とは、

まったくと言って良いほどに、

別物なのです。

 しかし、われわれ現代の空手家は、その事実を知りませんでした。

 なぜか?

 空手の歴史に、無知だったからです。

 または、歴史的経過を知ることは、自らの空手や空手流会派にとっては、プラスに働かないと知って、あえて無視したのかもしれません・・・?

 いずれにしろ・・・。

 現代の空手の形は、完全に武術的なそれとは別なものとして存在しているのであり、

 形の内容を理解して、

 それを実際の戦いに役立てるなどということは、

 不可能です。

 もしそれを行おうとすれば、現代の数多くの空手諸流会派が行ってしまった、形の動作の「曲解」、あるいは「こじ付け」っという、悲劇を招くことになってしまいます。

 ただ、ここまではもう大多数の現代の空手家、空手修行者には漸くながら、ご理解いただけたと思っています。

 この稿、続きます。