アメリカ人弟子の禅問答

 前のブログ「山が0.0001ミリ動いた」で国際沖縄空手道・無想会の世界総本部道場の二段が「小悟」を得て、形と組手を含む全ての動作が、まるで異なるモノとなった! っと記しまた。

 所謂、現段階において「目に映る、地平線の彼方の全てまで、見渡すことが出来る境地になった」っということです。心身思想がここまで変わってしまえば、心身操作が変わるのは当たり前のことなのでしょう。

 さて、この二段の飛躍的な技量の上達ぶりを見て、周りの黒帯たちも色めきたち、彼の後について、形を完璧に習得しようとします。彼の動きに対して、いろいろな質問が飛びます。

 その受け答えが、非常に面白いのです。

 「ごじゅうしほ(五十四歩)」の形にある、相手の頭部に膝蹴りを出す動作の指導の際に、「手で、相手の頭を引くのでは無い。足が、頭に行くのだ」。

 でも周りは、「????」。「だって、あんた手で引いてるやん?」っとの表情。

 さらに「足を上げるのでは無い、足は下げるのだ」。・・・。その足を下す時には、「地面に、置くのでは無い。地面に、触れるのだ!」などと、周りの黒帯連中が困惑する言葉が噴出します。さらには「置くと、遅い!」っと・・・。

 だって形の動作において、床に「足を『置く」っと、『触れる』の厳密な違い」って、誰も考えたことなんか無いでしょう。

 「ならば・・・!」っと、彼の言葉を聞いて、他の黒帯がホンの一瞬、足を床に付け(触れ?)て、足を上げる動作をやると。

 今度は「イヤ、あなたのは動作を端折って、早くしようとしている」っと、自分の動作をやって見せます。

 さらに「ほら・・・!」。「動作を端折るのでは無く、動作は完結させるのです。そして、その完結した動作と、次の動作の間隔を、無くすのだ!」っと・・・。「でも・・・、早くやってはダメなのです」っとも・・・。

 さらにダメ出しで「動作を早くするのでは無く、動作を終らせないのです」っと。

 「でも、アンタ・・・。さっき、動作を完結させるって言ったやん??」っと・・・。周りは、皆「????」だらけ・・・。

 でも本人は、この表現以外には、もう自分の動作を説明する言葉は無いのです。

 少し注釈を入れますが・・・、人間の心身の真の動きを理解した場合に、説明する言葉はありません! 

 その時に、ひとは、「言葉とは、所詮は虚構(フィクション)である!」っと完全に理解します。

 さらに人間は、「他に自らの体験を伝えることは、本来は不可能なのだ!」とも明確に理解出来てきます。

 その時に、「・・・の様に」とか、「ナニナニ風に」っとか言う形容方法では、自分の真意を伝えることは不可能になり・・・。

 説明に窮して、「たとえ話し」などで説明しようとすると、モット・モット話しが明後日の方角にへ飛んで行ってしまうのだ! とも理解出来てくるのです。

 すなわち「分かった人間。あるいは、分かっている人間を相手にしてしか、ホントウの説明とは、できないのだ!」っと、分かってしまうのです(ならば「説明って、一体ナニ?」っと、なちゃうけどね・・・)。

 

 いわゆる、禅問答です。

 しかし、ねぇ~・・・。この禅問答を英語でアメリカ人、それも自分のアメリカ人の弟子から聞くっというのは、なんだか非常に妙な気持ちです。

 そのために、わたくし黙って、傍で「ニヤニヤ!」して聞いています。

 でも・・・、外はニヤニヤですが、内心は「ホクホク」なんですよ。