無想会空手とは何か? その九 「コンテクスト」が理解できれば、武術としての空手が全て解ける
もう空手の修行者の大多数の方々には、承知の事実となってきた趣きがありますが・・、「空手の形は使えません!」。
これは現在行われている沖縄空手の形、日本本土の空手の形、世界中で行われている空手の形の別を問いません。
なぜなら、「使われないように変革された」からです。
それが、空手を体育、体操化、そしてスポーツ化するということです。
さらに加えて、その歴史的事実が忘れられてしまい・・・。
今度は、伝承における際に「伝言ゲーム」が発生し、まるで、ナニが、ナンだか、ダレも、もうヨウ分からん! っという塩梅になりました。
二十年以上も、その事を声高に主張してきたわたくしは・・・。
漸くここまでは、どの流会派の空手修行者も、少し空手暦を増していけば、自ずと理解できるはずですし、もう大部分の方々が理解してきている事柄であるとの、感触を得ています。
ですから、オリンピックに代表されるスポーツの形においては、フィギュアの動作である。っと理解した方が非常に分かりやすく、そこの戦いの技術や武術を見出すことは、完全に無駄な努力だとも理解為さっておられるはずです。
しかし、空手修行者の中には、「武術として伝承された沖縄空手」とその形を修行したい! っという奇特っというか、殊勝っというか、または頓珍漢な思いに取りつかれる人間も、ままにはいます。
その代表が、わたくし・新垣清だとも思っています。
しかし、空手の形が体育・体操、そしてスポーツ化されたのならば、その形を「武術として伝承された沖縄空手」の形として、成立させる必要が生じます。
そのことを以前 「対象の純化」への過程 っとして記しました。
その「武術としての沖縄空手の形」という「対象の純化」に、ゼッタイに必要な事柄が、形の中の「コンテクスト」の存在認知です。
この「コンテキスト」の存在を認知しなければ、形を純化して武術的に習得することは、不可能です。
「空手の形は使えない!」っと上記した事柄が、今まで公には言えずとも、ズーッと深層下で言われて続けたことの最大の原因は・・・。
この「コンテクスト」の存在認知が消滅してしまい、修行者自体が一体自分が何をやっているのか? っということを十分に承知していなかったことが大でしょう。
しかし、しかしですよ!!
この「コンテクスト」の存在を認知して、活用できるようにさえなれば・・・。空手の形を武術的に理解することは、誰でもが可能になるのです。
誰でもっと言っても、幼児には無理ですが、小学校の高学年であれば、物語のあらすじを順に追っていくことが出来ますから、それと同様に形を武術的に理解することは、ゼンゼン可能です。
わたくしが、今回のセミナー伝授する予定の「ごじゅうしほ(五十四歩)」の形は、わたくしが沖縄での修行時代には、「嫌い!」な形でした。
幼い自分でさえ、一体ゼンタイ、自分が何をやっているのかが、理解できない動作の集合体である! っという感触が拭い去れなかったからでしょう。
しかし「コンテキスト」の存在を理解し、活用できるようになって、この「ごじゅしほ(五十四歩)」の形の完全解明を果した、いま・・・。
「好き!」な形の、一つになってしまっています(まあ、人の想いって・・・・、現金なものですねぇ~)。
「ごじゅうしほ」、「五十四歩」、「ウセーシ」、そして「スーシホ」などと色々な呼称がつき、その出だしが千差万別で、動作も意味不明なこの形が、いかに武術的に見事な形であるのか?
首里手、沖縄手、そして空手の形において、沖縄空手の「重厚さ」を学ぶならば、この形が一番だと思っています。それほどまでに、素晴らしい形です。
それを、今回のセミナーで伝授する予定です。
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