空手家冥利に尽きる!
一応、国際沖縄空手道・無想会の制定形っということで、「武士・松村」こと松村宗昆の創作したと言われる形七つの、完全解明が終了しました。
「ナイファンチ(内帆船、または南方拳の漢字か?)」、「セイサン(十三歩)」、「ごじゅうしほ(五十四歩)」、「パッサイ(八十一)」、「クーシャンクー(公総菅)」の五つ。
それにわたくし・新垣清が、松村宗昆の創作の可能性が極めて高いと思っている、「チャンナン(江南)」の形の六つ(なお、チャンナンの形は、新垣清の再生ですので、責任はわたくしに帰属します=ウワーッ・大変!)。以上は、首里手です。
それに「武士・松茂良」こと、松茂良興作の創作と言われる、「ローハイ(羅漢)」という泊手の形が入って、合計七つとなります。
次に「王師の形」の「ワンシュー(王師父)」、「ワンカン(王武官)」、そして「ワンドー・ワンダウン(王套路)」の泊手の形の三つを、参考形としています。
これらに加えて、指導方法において弟子たちが段階的に学べるように、「たいきょく(太極)・初段」。そして「ぴんあん(平安)」の形の、初段・弐段・参段・四段・五段が、補助形として入ります。
ブッチャケテ言えばこの六つの形は、体育・体操の形ですが、現代のわれわれにとっては、体育・体操の形から上記の武術としての形に移行する際の、良き「橋渡し」をしてくれる形だと思っています。
合計、16個の形となります。
まあ「ナイファンチ初段」と、「ナイファンチ(これが全伝です)」の形の二つに分けて伝授していますし・・・。「パッサイ(八十一)」の大・小を、分けて教えるか?どうか? も思案中です。
まだまだ制定形や参考形にかんしては思案が、流動中ですが・・・。徐々に、考えが固まっていくでしょうが・・・、大まかでは、上記の通りです。
「ナイファンチ」を徹底的に指導して、上記の「松村の手」さえチャンと伝授すれば、
琉球王国時代に伝承された、武術としての空手を再興
することは、十分可能だとの感触を得ているので・・・。
余り急がずに、外連に奔らず、華美に流れず・・・。さりとて、野暮に陥らない程度にまとめて、粛々として行けば良い! というある種の余裕(?)がでてきました。ダメならダメで、元の木阿弥に帰るだけなのですから・・・。
これも、これは一体ナンじゃらホイ?の「セイサン(十三歩)」の形が解けたでも記したように、最後に残っていた「セイサン(十三歩)」の形を解き、
「松村の手」を、
すべて完全解明した!
っということで・・・、自分自身が「ホッ!」っとしているところがあるのでしょう。
空手、沖縄手、首里手を名乗る上で、武術として伝承された「松村の手」を理解しなければ、ハナシにもなりませんからね!
一応、わたくしが生きている間にそれを成し遂げたことは、
空手家冥利に尽きる!
っと思っています。ラッキーでした。
しかし、それにつけても、現代まで伝承されていた空手の形とは、沖縄、日本本土、そして世界中の空手において、武術的な中身は「ナンにも、なかったんだなぁ~!」。
そして「ダーレも、ナンにも、分かってなかったんだなぁ~!」っというのが、正直な感想です。
それは空手の心身思想・操作だけでは無く、伝承の歴史にしても同様だと思っています。
さらに、でも・・・、それらの事柄に関しても・・・、余りもう・・・。「いまの自分には、関係ないことだなぁ!」 っという想いも、また正直なところです。
ナンか・・・、「夢が胡蝶か、胡蝶が夢か!」っと言うか・・・、奇妙な気持ちです。
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