泊手はどうなるの? その一
さて前回のブログの空手家冥利に尽きる!において国際沖縄空手道・無想会の制定形の七つを、記しました。
その大部分は、首里手の形です。
「武士・松村」こと、松村宗昆の「松村の手」こそが、空手であり、沖縄手であり、かつ首里手なのですから、琉球王国時代に武術として伝承された沖縄空手の再興を謳う、弊会としては当然のことでしょう。
でも、泊手の形である、「ローハイ(羅漢)の形」が一つ入っています。
これは少林拳・羅漢拳が伝わり、その套路が分割されてが現在のローハイ初段、弐段などの形として伝承されたものです。どっかに、原型となる羅漢拳の動画があったはずですが・・・、いま書き飛ばしているのでパスです。
その原型を泊の「武士・松茂良」こと、松茂良興作が沖縄と大和(日本本土)の心身思想・操作を取り入れて、改変したものです。
非常に、見事な形です。
他に、弊会においての泊手の形は「王師の形」という「ワンカン(王武官)」、「ワンシュー(王師父)」、そして「ワンドー・ワンダウン(王套路)」の三つが、参考形として存在します。
これらの三つの形は、首里、あるいは琉球王国の心身思想・操作の影響での改変がない、あるいは少ないです。
特に「ワンドー・ワンダウン(王套路)」の形は、沖縄では失伝していた形ですので、中国の中国拳法の套路の有様が、非常に多く残されている非常に貴重な形です。
その形の存在によって、この「王師の形」の三つは、中国清朝軍の軍事教練の影響が大きい形である! っと理解できます。
なぜなら、初動が「唐手・佐久川」が1804年前後に移入した、清朝軍漢人部隊(緑営)の15の軍事教練と同じく、
対峙する相手が両手で、
自分の襟首を捕まえてくる動作に、
対処する業・技で、成り立っている
からです。
さらに「ワンカン」っという呼称自体が、「王」っという姓を持つ(清朝正規軍の?)「武官」が伝えた形(≒套路≒軍事教練の動作)っということで、「王武官≒ワンカン」っということになったはずですから・・・。
さらに泊手には、シリーズとしての「ヂッ」の形が存在します。
「ヂッテ」、「ヂッオン」、「ヂッイン」(順不同)などと呼称される、一連の形です。
これも中国清朝時代に、組織だって行われた「集団の徒手格闘の教練」が、琉球王国時代の泊地域に(のみ?)、伝承されたものです。
「集団の徒手格闘の教練」とは、軍事教練だとは思いますが・・・。
それが、清朝正規軍のであったのか? どうか?
までは、まだ推察が及びません。
筆者・新垣清と、文責を明らかにして記しますが、この「ヂッ」とは「撃」の漢字表記をあてるのではないか? っといま・現在は、愚考しています。
さらにこの「ヂッ≒撃(?)」の形シリーズを、泊地域に移入させた中国人武人は、「チン≒(陳の漢字表記か?)」っと呼ばれる人物である可能性が、極めて高いです。
この「チン≒陳(?)」師は、さらに「チントー(陳套路)」っと、上記した「ローハイ(羅漢)」の形の世俗拳法の套路を二つと・・・。「チンテ(陳手)≒チンシュ(陳師父)」の、体系立った徒手格闘の教練の形を一つ、伝承したはずです。
泊手においても、首里手や古流・那覇手と同様に、すべて組織立って、あるいは体系立っての伝承です。
さらに、琉球王国における形の呼称などの変化も、体系立って行われているのです(これは、ソシュールやメルロ=ポンティなどの、いわゆる「言語学」を参考にしました)。
その体系さえ明らかにすれば、武術として伝承された沖縄空手の心身思想、操作、形の動作の意味、形の名称、師匠の名、伝承過程、歴史のすべてが解明しますし・・・。
わたくし・新垣清は、すべてを現時点で解明できる限りに、解き明かした心算です。
これらの事柄(特に現時点では泊手)に関しては、近日中にチャンと発表する心算です(いま、ゼンゼン時間がありません)。
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