中国拳法と沖縄空手
琉球王国時代に、「武術として伝承された沖縄空手」の母体になったものは、紛うこと無く、中国の徒手格闘術です。
しかし、それは中国拳法か? っとなると、少し説明が入ります。
従来は空手とは、ある一定数の不特定な沖縄の人間が、異なる時代に、中国の異なる地域で、異なる中国拳法を、異なる師匠から学んだものなのだ!
っと言われていました。
しかし、わたくし新垣清は、そうでは無い(はずだ)!
っと思っていますし、公式にも発表しています。まあ、いまのところ、こんな説を述べるのは、わたくしただ一人なのですが・・・。
すなわち中国の徒手格闘術の套路が、沖縄空手の原型になったものではあるけど・・・。
その大部分は、中国清朝軍の漢人部隊(緑営)の、軍事教練の徒手格闘術なのだ!
っという見解です。その体系立った15の形を移入したのが、「唐手・佐久川」の可能性が極めて高い(1804年前後)。
それが今に伝わる、首里手、古流・那覇手というもので、合計15個の形の原型なのだ。
っということです。15の形一覧表
さらにその15の形の移入以前に、中国清朝軍の満人八旗の軍事教練の套路を、「公」っと呼ばれる「総菅」の位の軍事が移入した。これが、「クーシャンクー(公総菅)」の形。
そして、中国清朝水師(水軍=海軍)の形である「ナイファンチ(内帆船、南方拳の漢字か?)が15の形と、「公総菅」の移入の間の期間に導入された。
っと思っています。
泊手は少し趣きが違いますが・・・。これは、いずれ詳しく説明します。
さらに記せば、現在の数多くの(ほとんど全て?)の所謂中国拳法なるものの、その元をただせば中国の各王朝(主には清王朝でしょう!?)の軍事訓練が、世俗に流れたものである。
その時に仏教や道教、さらに土俗の民間宗教などの教え・・・。秘密結社の理念。動物の模倣などが取り入れれたものだ。っとも解釈しています。
軍事教練からの流れてとすれば、沖縄空手と同じ次元のものです。ですから世俗の中国民間拳法の套路と、沖縄空手の形の構成は非常に似ていますし、「コンテキスト」を認知していれば、完全に理解できるはずです。
それとは別に、両者には非常に異なる部分が存在します。
それは沖縄空手の場合には、国家の役人(この場合は中国王朝の軍人)から、国家の役人(沖縄の武士)へと、伝承されたということです。
さらに異なる点は、沖縄の武士たちは宗教的な教え、秘密結社の理念、あるいは動物の模倣などを取り入れることは無かったということです。
では何を取り入れて、沖縄空手としてか?
それは、日本武道(主に日本剣術)です。
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