「武士・松村」の「公総菅(クーシャンクー)」の形
いま、国際沖縄空手道・無想会の世界総本部道場において、わたくしと、わたくしの修行・研究において相方を務めてくれる、本部道場・正指導員のB四段とで、「公総菅(クーシャンクー)」の形の様式の部分において四苦八苦しています。
前回のブログでも記したように、一度は完全解明を試みて挫折した、苦い思い出のある形ですが・・・。
「ごじゅうしほ(五十四歩)」の完全解明を果して、それで得た自信と、知識を持って、再度挑戦してみようといういことです。
前回は三種類の「公総菅(クーシャンクー)」をすべて解明し、琉球王国時代に中国武官が沖縄武士に伝えたそのものまで迫ってみようという、いわば「欲」がありました。
それが、前回の試みが、失敗に終わった一番の原因でしょう!
正直に記しますが・・・。
この中国清朝軍の軍事教練の徒手格闘術の形の原型を求める際には・・・、
中国サイドから、1700年中頃において清朝の満人八旗(満人軍)の軍事教練における、徒手格闘術はどのようなものであったか?! っということを調査することが、もっとも効率が良いはずです。
それは、「善撲営」の影響の非常に強いものであったはずだ。との推測が立ちますが・・・。
いまのわたくしには、それをする時間も資料もありません。
これは、次の世代の方に期待して・・・。
わたくしは、わたくしの出来る範囲での、琉球王国時代の武士たちの間で伝承された、すなわち中国武術を、日本武術(主に剣術)の心身思想・操作によって琉球化、沖縄化した「公総菅(くーしゃんくー)」の形の完全解明を試みる。
っというのが、今回、再トライする際の二人の間での取り決めでした。
その琉球武士たちの伝承した「公総菅(クーシャンクー)」の形も、「武士・松村」こと、松村宗昆の伝承した「公総菅(クーシャンクー)」である! っということに限定しました。
なぜなら松村宗昆の技術、すなわち
松村の手こそが、
首里手、沖縄手、そして空手の始祖
っとっ、なるからです。
この稿つづきます。
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