「武士・松村」は、どれを取ったのか?
国際沖縄空手道・無想会の弟子であるならば・・・、
あるいは、弊会のセミナーに参加なされた方ならば・・・。
武術として伝承された沖縄空手の形には、「コンテクスト」とも言って良い、いわゆる文脈が存在するのだ! っということは、もう完全に理解されているはずです。
その「コンテクスト」に照らし合わせて、「公総菅(クーシャンクー)」の形を修行していき・・・。
いまの段階においては、この形における各動作、すなわち業・技の機能というものは、「完全に解いた!」 っと思っています。
ならば、「公総菅(クーシャンクー)」の形のすべてが解けたか? っと言えば、そうは簡単にいかないのです。
なぜなら・・・、「公総菅(クーシャンクー)」の形とは、現在まで伝わる空手の形において、最古と言っても良いほどに・・・。1700年中頃(1756年?)から現在まで、約250年以上の長さで伝承されている形です。
そのためにか・・・!? 多種多様な、「公総菅(クーシャンクー)」が存在します。
その時間的に、一番古い形である。ということと平行して・・・。
他の武術として伝承された沖縄空手の形も、多種多様に分かれてしまった感もありますが・・・。この「公総菅(クーシャンクー)」の形は、他の形と比較して長い形です。他には、「ごじゅうしほ(五十四歩)」の形がありますね!
いずれにしろ、「公総菅(クーシャンクー)」と「ごじゅうしほ(五十四歩)」の二つの形は、首里手、沖縄手、そして空手の形において、最長の形としても良いでしょう。
そのために、同じように時間を経ることで、多種多様に変化されてしまった他の形と比較しても、その多種多様化が著しいものであるとしても、良いでしょう。
それはわたくしと、相方を務めてくれる弊会の、世界総本部道場の正指導員であるBo.四段が修行・研究している、「北谷屋良クーシャンクー」、「松村クーシャンクー」、あるいは「四方クーシャンクー」以外にも・・・。
「公相君」や、「観空(かんくう)」と呼ばれる様式の形もあり、他に・・・、非常に異なった「祝嶺系統」のそれも存在することからも明白です。
ならば・・・?
形の中における動作、いわゆる業・技の機能がすべて解明し・・・、理解できたとしても・・・。
その構造においても、多種多様化が起こっているが故に、「一体、どれが『松村の手』、すなわち『空手』の『クーシャンクー』の形なのか?」っという、ある意味、非常にシンプルで、かつ根源をついた質問が出てくるはずなのです。
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