空手の代名詞・「公総菅(クーシャンクー)」の形

 今回のセミナーで伝授した「ごじゅうしほ(五十四歩)」の形は、自分で言うのもナンですが・・・。「絶対!」と言って良いほどの、自信がありました。

 なぜなら・・・。これほどまでに重厚な形は、わたくし自身が見た事も、やったことも無かったからです。っというか、思ったことも無いほどのレベルにありました。

 その重厚さは、鋭い日本刀の刃筋を思わせるほどの繊細さ、鋭利さによって生みだされたものである! っという、完全解明を試みたわたくし自身が、「流石は、『武士・松村』!」と驚愕したものです。

 これって、別に上から目線の感想では無く、武の天才の想いと、自分の武才の無さを徹底的に知らされたことで、「もう完全に、降参!」っという想いです。

 でも案外、これほどまでの格の違いを見せつけられてしまえば・・・。却って、清々する気持ちなんですよ。寂しいけどね・・・。

 まあ、これはしばらく経ってからの想いでありまして・・・。

 そこまで行く過程で、琉球王国崩壊後の沖縄、明治維新後における、日本の心身思想・操作の伝承体系の崩壊。

 近代化、(いや!ブッチャケて言えば、西欧化でしょう!)によっての、日本の心身思想・操作の完全喪失。

 などなど・・・。失望や怒りで遣り切れない想いもあったのは、このブログをお読みの方々は、ご理解しているかと思います。

 しかし、個人的に、「ごじゅうしほ(五十四歩)」の完全解明で得た自信と、知識によって・・・、「公総菅(クーシャンクー)」の完全解明を試みました。

 その過程では・・・。

 「公総菅(クーシャンクー)」の形の機能的役割、すなわち「この形のナニが、主題?」で・・・。「ナニを、この形で学ぶことが出来るのか?」、あるいは「ナニを、この形で学ばせようとしているのか?」は、完全に把握した心算です。

 形の構造は理解した心算ですし、まあ十中八、九は当たっているでしょう。

 しかし、まだその様式が確定できませんでした。

 前回のブログでも述べたように、原型の「公総菅(クーシャンクー)」の伝来から松村宗昆が、自らが学んだ日本武術(主に剣術)の心身思想で、自らの職務が要求する身体操作を考慮して、この形を改変した時とは、すでに80年から、90年ほども経過しているのです。

 そして、この100年弱の間に、当時の沖縄全域において普及していたはずです。

 この形が武術として、あるいは「舞(まい≒メー)」っとしての別は、置いておいてもです。

 その代表的な動作が、「公総菅(クーシャンクー)」の代名詞ともされる、両手を円を描くように上げて、空を観る動作。いわゆる「観空」の動作です。

 まあ、弊会の弟子たち、そして弊会のセミナーにご参加された皆様なら、これは空を観る動作では無く・・・。

 「前方」に居る相手が、両手で自分の襟首を掴んで来た状態を脱して・・・、反撃に移る動作なのです。っと、ご理解されているはずです。

 じつは中国清朝軍の軍事教練の形の始めの全てが、この様式から始まったいた可能性が強いのです。ですから、この「公総菅(クーシャンクー)」のみならず・・・。

 唐手・佐久川が移入した15の形のすべてが、この様式で形が始まっていたのです。

国際沖縄空手道 無想会 International Okinawa Karate-do Muso-kai