空間にある「正中線」
自らが生存していた琉球王国時代に、「武士・松村」との尊称で語られた、すなわち「生きている伝説(The living legend)」化とされていたとしても良い、松村宗昆です。
この人物が公務で、自らが清朝時代の中国に渡った時に持ち帰った、という口碑も残っているのが・・・。
福建省の琉球館を護衛していた、清朝漢人部隊(緑営)の護衛官(把門【アーナン】、把門官【アーナンコー】っと呼称されました)の、軍事教練の9番目の形が「ウーセイシ(五十四歩)」の形です。
この「ウーセイシ(五十四歩)」の形を、鬼神の才を持つ松村は、自らが幼少の頃から学んでいた日本武道(主に剣術)っと、自らの「近習」っという役目(執事兼護衛役)から生じる職務に適応させるために、文字通り「換骨奪胎」させます。
「ごじゅうしほ(五十四歩)」の形の、誕生です。
中国武術の「唐手」が文字通り、首里手、沖縄手、そして空手に変わった瞬間と言えるのかもしれません。
その主幹となったのが、日本剣術において最も顕著である「正中線」っと、「演武線」の思想の存在です。
国際沖縄空手道・無想会の弟子諸氏ならば、そして弊会のセミナーに参加為さった方々ならば・・・。あるいは、拙著「沖縄武道空手の極意」などを御読みに為られた読者ならば・・・。
この「正中線」と「演武線」の存在を、明確に理解なさっているはずでし、現行の体育・体操、あるいはスポーツ化した空手とその形には、その存在意義と活用が皆無であるとも、理解なさっているはずです。
しかし、本ブログで問題にしているのは、空間に概念として(のみ)存在する「演武線」を・・・。
この松村という人物は、空間に存在する「正中線」っとして、捉えているということです。
ハッ????
武術としての沖縄空手の修行をしている、弊会の弟子たちは、各々の技量に応じて、身体内を貫く「正中線」の存在と、その活用を理解しています。
この場合に、業・技として出来る出来ないは、各個人のレベルによりますが、「正中線」の理解がなければ、日本武道、そして武術としての沖縄空手にはなり得ないという理解は、共通です。
そして自分の動かない「正中線」っと、相手の動かせない「正中線」を結ぶ線が形の本来における「演武線」である! っとの理解もあるでしょう。
しかし松村と言う人間は、この「演武線」に、空間における自らの「正中線」の役割を持たせる!
っという、大胆不敵っというか・・・。または、放埓っというか。あるいは、憎たらしいっと言うか・・・。ことをさせてしまっています。
すなわち、この人物の認識によれば、闘う空間・・・、すべてが自分のコントロール内にあるのです。
ですから自分の身体を、自分が認識する演武線(自分の認知する、空間における「正中線」)に武術的に正しい操作で、身体を激突させることさせ出来れば、技は最速・最大の威力を出せる!
っと、まで思っているのです。
この稿、続きます。
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