活字と動画
国際沖縄空手道・無想会のYouTube動画である、「無想会チャンネル」の第8弾がリリースされました。(第9弾も既にリリース)
今回のテーマは、「唐手・佐久川の謎に迫る!」っというもので・・・。このシリーズの、第一回目です。
じつはわたくし、セミナーの動画撮影などに関して、「???」の気持ちがありました。
古い人間だから・・・?!。 まぁ~、そうでしょう。
だから、動画は苦手?
イヤ! わたくし、映画大好きですし・・・。
一時期は、週に三本観てました。大学で映画の授業を取った時には、教えてくれていた教授から「映画関係の仕事(特に、その時は映画評論家として)で、飯が食える可能性もあるよ」と、過剰な評価を頂いたこともあるんですよ(まぁ、当然お世辞でしょうがね)。
今はメージャーになった、ユタ州のパーク・シティーで例年行われる「サンダンス映画祭(当時は、超マイナー)」の記事を、沖縄の新聞に三回に分けて連載したこともあります。その時は、ナンと映画祭は「OKINAWA特集」だったのです。
さらに、わたくしの小説を映画化したいということで、このアメリカのユタ州にまで日本の有名な映画監督と、プロデュ―サーが、わざわざ正月三が日に来ていただいたこともあるんです。
でも・・・。
当たり前ですが、映画というのは、フィクションです。
例え、それが「ノン・フィクション」ということを謳っていても、フィクションなのです。
さらに、このブログを記している活字も、いや言葉自体が、大いなるフィクションです。でも・・・、こんなことを説明しようとすると、本一冊分くらいの分量になるので・・・、割愛!
真を伝えるには、「本来は『不立文字』以外に道は無い!」っと、わたくし・・・、ナイファンチの修行の何処かで、開眼してしまったのでしょう。
その為に、小説を書くなどという行為にも、興味を失ってしまったという側面も、今はあります。
しかし、この「不立文字」なる言葉(←これも、フィクションね)自体が、究極の「伝言ゲーム」化してしまう可能性が極めて高い! っという、厄介なモノなのです。
ってか・・・。東洋の(心身)文化の停滞は、それに因るところが大である! っとまで、わたくしは思っています。
言語や動画は、「生身の人間の持つエネルギー」を完全には伝えることは、絶対に不可能です(断言!=まぁ、当たり前)。
その伝えることが不可能の最たるものは、生命体としての人間のもつ、バイタリティーだ!っと言っても良いでしょうが・・・。
しかしそれは、機械でしかない、高速のジェット戦闘機が、スクランブルの際に飛び立つ時。あるいは、サーファーが乗る大きな波の持つ躍動感、高揚感。などなど・・・。無機質なモノにさえ、存在するものです。
それは、存在そのもの・・・。活動そのモノが・・・、我々の五感(六感)に与える、絶対的な感覚なのです。
圧倒的な「位置エネルギー」の存在と、それが動いた時の「運動エネルギー」を、われわれが全身全脳で感じることなのです。
しかし、それを動画や活字で表現しようとすると、その多くの場合には、所詮は「ナニナニの、様(ヨウ)なモノ」っという、非常に矮小化されたものにしかなり得ないのです。
確かに、動画や活字は、知識です。インフォメーションです。
しかし、その知識やインフォメーションが、我々の感覚の動き・・・。すなわち
「感動を、枯渇させる恐れがあるのだ!」
っと、ナイファンチの修行で己の感覚を、己の極限まで極めようと修行をした自分の魂が、訴えてきていたのです。
この稿、続きます。
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