マロニエの樹の根と熱帯
今回のブログ題は、「マロニエの樹の根と、熱帯」っと・・・。まぁ~、まったく訳の分からんものとなっております。
じつは、このマロニエの樹の根の不気味さが、前ブログで出てきたジャン=ポール・サルトルの「嘔吐」なる小説に出てくる、主題だとしても良いものです。
なお本ブログで記す書籍などに関しては、ズーッと昔、わたくしが「紅顔の美少年」であった頃に読んだものです。
そのために、ところどころ記憶に間違いがあるかもしれませんし、後年のナイファンチの修行の結果によって得た心身思想に、無理やり解釈を合わせた可能性も、多大にあるかと思います。
ですので・・・、文責は当然のことながら、わたくし・新垣清にあります。それらをご了解の上、読み進めてください。
なお、わたくしの「紅顔の美少年」は、「厚顔」、または「睾丸」と読み違えのないように、くれぐれもお願いします。
さて、手元にサルトルの「嘔吐」はありませんが・・・。クロード・レヴィ=ストロースの記した「悲しき熱帯」の本はあります。
この人物は、拙著「沖縄武道空手の極意」を記した際・・・。
心身文化における言語の役割を独学していた時に、非常に参考になった、フェルディナン・ド・ソシュールやモーリス・メルロー=ポンティなどとの個人的・学術的交流があり、そのために手元に置いておいたものです。
ちなみに、アメリカに住むわたくしは、この社会科学の分野においては、まだヨーロッパのそれが、アメリカのそれに一日の長があると思っています。
アメリカのそれとは、「プラグマティズム」の側面があまりにも強く、そのために近視眼的な研究と、それから導き出される結論のみである。っとの想いが強いです。
まぁ~、その限界がこの21世紀初頭に、如実に現れ始めている。っと思っていますが・・・。これは、脇道に逸れるので割愛。
なお、後年(ってか、つい最近のハナシです)・・・。わたくしが唐手・佐久川の移入した15の形、クーシャンクーやナイファンチの形、泊手の形(いま整理中)、それにアーナンやオーハン(?)などの、漢字表記を解明する際にも、上記二人の考え方は非常に参考になりました。
さて、「悲しき熱帯」の中にある文章を、以下に記します。
「実存主義の中に開花しようとしていた思想の動向について言えば、それが主観性の幻影に対して示している好意的な態度のために、この動向は有効な思考のまさに反対のものであるように私には思われた。」(赤色太字・新垣)
っと記して、さらに厳しい言葉が続きます。
「個人の心意にかかわる事柄を、哲学の問題と呼ぶに値するものにまでこのように昇格させることは、結局それが、街の娘っ子のおしゃべりにふさわしいような種類の形而上学に終わってしまう危険を、あまりに多く孕んでいる。」
っというものです。P86
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