真似すれば、良いだけ!
「感動して、真似しろ!!」 っと・・・。
それが武術として伝承された沖縄空手と、その形を学ぶ上で、一番効率良い?!っと言うか・・・。本来は、それ以外に道は無いはずなのです。
畢竟、「不立文字」などと呼ばれる伝承方法とは、上記の方法です。
時間、労力などを考慮した場合に、非常に効率の良い方法ですし・・・。皆がそれを行ってしまえば、ハッピーエンド! で、メデタシめでたし! っとなります。
しかし、このブログを読まれている方々も、そして筆者のわたくし自身が、自らの修行で理解できたように、それは天才のみに許される道でしょう。
さらにこの「不立文字」こそが、空手を初めてして、東洋心身文化の伝承過程において頻繁に起こる、「伝言ゲーム」化であり、本質の喪失という・・・。
物事の形骸化に一番の影響を与える、極めて危険性のある・・・、両刃の剣のような存在でもあります。
そして、哀しいことに・・・、読者の方々はいざ知らず、わたくし如きの人間は天才という言葉から、一番遠く離れた場所にいる人間です(涙)。
では、すぐには真似の出来ない、われわれ(って、一応不特定多数にしますが・・・。本来は、わたくし個人の修行歴にそってのハナシです)凡人は、一体ナニを、ドウすれば良いのでしょうか?
さて、ここからが、修行の本質ですが・・・。じつは、答は簡単なのです。
すぐに、真似が出来ないならば・・・。真似が出来るまで、遣り続ける以外に、方法はありません。
「アッチャー! そんなの、ゼンゼン答えになってない」っという方々も、存在するでしょう。わたくし・新垣清も、そう思う一人です。
しかし、わたくしは自らの拙い修行からの経験からして言えることは、「それ以外に、方法は無いよ!」っという厳しい現実です。
そして、ここで問題になる。
あるいは弊会の弟子諸氏、あるいは、武術として伝承された沖縄空手を習得したいと志した方々に申し上げたいのは、「真似が出来るまで、遣り続ける時の方法論」なのです。
この方法論を確立しない限り、ゼッタイに真理にたどり着けません。あるいは、たまたま運良くたどり着けたとしても・・・。非常に時間と労力を無駄にした挙句に、漸くたどり着けるものにしかなりません。
それほど大事な事柄なので、次回から詳細を述べて行きます。
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