武術としての空手修行の、システム化とカタログ化
武術としての空手修行の、システム化とカタログ化
武術として伝承された沖縄空手の修行において、出来ている人間の動作・形に触れて(見て・観て)「感動して、真似してくれ!」っと言っています。
その真似ることにおいて、非常に重要である情報・インフォメーションの取り込みの事柄に関して、記しています。
わたくしは国際沖縄空手道・無想会の世界総本部・道場において、そのインフォメーションの取り込みに関して、三つの段階を弟子たちに口を酸っぱくして説いています(怒鳴っている!?)。
それは、「systemization」を、まずやれということです。
これは森羅万象の事柄を、「体系立って観るように、習慣つけろ!」っということです。
あるいは、森羅万象に見える事柄の中に存在する体系を、見つけ出せる習慣をつけろ!ということです。
わたくしの述べる「systemization」とは日本語で言えば、物事を体系化しろということ、あるいは物事の体系を見つけ出せという、この二種類です。
武術としての空手の修行が、人生においてナンの価値があるのか? っと問われた場合に、卑近の例を挙げればわたくし自身の人生において、
「世の中における森羅万象の現象を、
体系化して見ようとする習慣をつけてくれた」
っと言えると思っています。
漫然と、あるいは「ボッケー!」っとしてしか、物事を見ていなかったわたくしのような人間に・・・。モノの本質を見極める。あるいは、モノには本質がある! っという、歴然とした事実を突き付けてくれたとしても良いでしょう。
あるいは「好き!」、「嫌い!」の感情だけで、物事の正否を付けて生きていた自分を反省させる、非常に重要な機会になったということです。
わたくしのように、日々「ボッケー!」としている人間には、武術としての空手の「修行」っという過程を経らなければ、あのまま漫然と「ボッケー」として人生を終えていたはずです。
まぁ~、いまでもその大部分は酒を飲んで、「ボッケー」と暮らしてはいるのですが・・・。それはそれで、性格ですので・・・、勘弁してください。
その次の段階・・・、あるいは「systemization」を行う時に必要な事柄として、「categolize」しろ! っということです。
名詞として、「categorization」っと弟子たちには伝えます。
「Categolize」とは、ブッチャけて言えば「Catalog」化しろ。っということです。自らの手で、カタログを、作る。すなわち、種類によって分ける、「種類化」っとしても良いのかもしれません。あるいは、「分類化」とも・・・?!
それは、物事を理解する科学的方法としての、「相互否定、相互相関(相互浸透)」の思考においての、相互否定化するということです。
この「分類化」は、各個人・個人の経験、才能、学識などで各々違ってきますが・・・。それは、それで良いんです。要は、明確に「分類化するのだ!」っという意識(習慣化ですね!)が、一番重要になるのですから・・・。
この稿、続きます。
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