「彫って」、「掘って」、「Digging」して行け!
本ブログでは、国際沖縄空手道・無想会の日本国内の弟子たちの、武術として伝承された沖縄空手と、その形の修行の際における注意事項っというか・・・。
心構えというか・・・。
「まぁ~、修行は大変だろうけど・・・。この点に注意して、頑張ってね!」 っというものを、記しています。
その為に、弟子以外の方々には非常に分かり難い、あるいは退屈なブログとなっている可能性も高いのですが・・・、それなどは、無視してブログを進めていきます(笑)。
前回のブログで、真理に向かって、「鑿や鏨で、彫り込んで行け!」っと記しました。
その彫り込んで行く際の、情報・インフォメーションの取り込み方も、「systemization(体系化する)」こと・・・。そして、「categorization(分類化)」すること・・・。さらには、「prioritization(物事の優先順位付けをする)」ことであるっと記しました。
そしてこの三つの方法を使って、あるいは三つの段階を経て、対象となるものへ「彫り込んで」行け! っということです。
あるいは、「掘り」進んで行け! っということなのです。
フリードリッヒ・ニーチェの有名な言葉に、「汝の立つ所を深く掘れ。そこに泉あり」っとあります。
これは「沖縄学」の創始者としても良い、伊波普猷の言葉に「深く掘れ、そこに泉あり」っとの言葉を残していますが・・・。これも、ニーチェの言葉に誘発されたものでしょう。
誤解を恐れずに、断言しますが・・・。修行のこの段階においは、 「文化・文明」を意味する、「culture」の語源である「culture」。
すなわち、「耕す」のではありません!
耕すということは、極論すれば均等に土を掘り起こすことです。
しかし修行とは、地下の水脈に到達するまで、
地面を、「掘り」抜いていくことです。
「Dig」または、「digging」しなければ為らないのです。
なぜなら農業において、土を耕しても、水が無ければ植物の育成は不可能なのです。
これは以前、このブログでも述べた、「植林」においても同様です。
水源を探し出す!。水源を確保する! それこそが文明の始めであり、武術として伝承された沖縄空手においては、必要不可欠な事柄であり、それが無ければ何も始まらないのです。
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