条件反射と文学

 本ブログでは、修行の際の情報・インフォメーションの取り込み方の、「systemization(体系化する)」こと・・・。そして、「categorization(分類化)」すること・・・。

 さらには、「prioritization(物事の優先順位付けをする)」の三つを記しました。

 そして「リンゴとオレンジ」の例を引き合いに出して・・・。

 似て非なるもの(?)、すなわち比較にならない情報を集めてきて、比較することの愚。あるいは、同じ部類の一つも進展性の無い情報を集める愚を、戒めてきました。

 情報は、確かに多い方が良いです。でも・・・。っというという事は、肝に銘じておいてください。

 上から目線のようで、イヤなのですが・・・。

 常に業・技、そして形が同じ場所で頓挫する。ゼンゼン、上達しない。前に進んでいない。などという修行者は、この心身の情報の取り方、処理の仕方を間違えてしまっているからです。

 そのために、川や湖などの、水源を探さないといけないのに、同じところをぐるぐると回ってしまう。

 あるいは水源の確保のために、井戸を掘らなければ為らないのに、土地を均等に耕してしまうなどの、結果となってしまいます。

 異国の地で、数えきれないほど人種、言語、文化の違う人間を教えた。そして戦ってきた人間として、これはハッキリと言えますが・・・。

 上記の現象の大部分は、個々の身体能力や、知能の差などに因るものではありません。ただ、思考方法の違いゆえに生まれてきた、差異でしかないのです。

 人間・・・、自らの頭を取り換えるわけには行きませんが・・・。

 その思考方法を変えることは、比較的楽です(?、まぁ~、「とは言っても・・・」、と但し書き付きね!)。

 っと、ここまで記して・・・。ここ暫く、少しハナシが小難しくなっていますので、少しお噺です。前にも書いたはずですが・・・。もう一度。

 生理学の分野で「条件反射」を説明する際に、有名な「パブロフの犬の実験」っというものがあります。「音などのサインを与えて、犬が唾を出す」っというやつです。

 じつは・・・。この条件反射を、帳消しにする方法がある! っという都市伝説があります。

 それは・・・。

 水の張ったプールの中に、犬を放り込む。そしてプールの底の排水溝を開き、プールの底抜きを遣る。当然、犬が排水溝に吸い込まれて、溺れる。

 そして、排水溝の出口で犬を救出する。

 すると・・・。

 排水溝から助けられた犬は、恐怖からすべてを忘れてしまう。その際には、音などのサインで唾を出すことさえも忘れてしまう! っということです。あの条件反射というヤツも、消えてしまったのです。目出度し・メデタシ!(?)なのです。

 この噺・・・、真偽のほどは、誰も分かりません(だから、都市伝説。そして、やったらダメ!)。

 でもこの噺には、さらなるオチがあり・・・。

 このハナシを聴いて、「ヒドイ!このような人間(含・新垣清)は、人非人だ!」っと、動物愛護の点からも、憤慨する人(まぁ~、これが通常に、人間らしい感情です)が大多数です。

 しかし、中には「嗚呼、羨ましい・・・!」っと。

 「わたしの記憶も(人生も?)、こんな簡単(?)に消せたら、どんなに楽だろうか!」っという想いを描く人間も、確かに存在します。

 そして、人が生きる上での哀しみ・・・。と言うモノを理解した時に、この想いを無下には、決して出来ません。

 わたくしが「自分には小説もどきは書けても、人間(文学?)は書けない」っと思って、筆を折ったのは・・・。この後者の想いを文章で描くことは、自分の才能では出来ない、と思ったからでもあります(大涙)。

国際沖縄空手道 無想会 International Okinawa Karate-do Muso-kai