百五十年の喪失を埋める
なぜ武術として伝承された沖縄空手の再興を目指す、国際沖縄空手道・無想会においては、世界総本部道場においての指導教導をすべて、一から(あるいは、ゼロから)構築して行かなければならなかったのか?
それは前ブログでも記したように、現在の空手とその形においては、個人、あるいは道場などの組織においても、その練習体系はすべて西洋心身思想・操作である体育・体操、そしてスポーツのそれに、変革されてしまっているからです。
それは、明治期に日本の近代化を目指していた故に、起こったことです。
当時の状況を知れば・・・。それは、仕方の無かったことでしょう。
明治維新とは、日本の「近代化の幕開け」と言えば、聞こえは良いのですが・・・。じつは
我が日本国が、
西欧諸国と、その文明に敗れた時
でもあるのです。
ですから・・・。武術として伝承された沖縄空手は、日本化したのでは無く、近代化という名の、「西欧化」を余儀なくされたと言っても良いでしょう。
しかし、それは琉球王国時代、あるいは日本本土の江戸時代に、「武術として伝承された空手」とは、まったく別物です。
その異なる空手が延々と、歴史における意図的な上記の変革と・・・。伝承時における「伝言ゲーム」を、続々と繰り返しながら現代にいたっています。
その間、百五十年としても良いでしょう!
ですから・・・。
「武術として伝承された沖縄空手の再興」を謳う、国際沖縄空手道・無想会としては、この百五十年の間を埋めて、武術として伝承された当時の空手を、再構築して行かなければ為りません。
一口に、「百五十年」の間を「埋める」っと言えば、簡単(?)ですが・・・。
人(ひと)一人の一生涯の倍近くの時間を埋めるということは、並大抵では無く、不可能に近い試みです。
さらに、当時の人間たちには・・・。周りが全て東洋の心身文化に、満ち溢れているのです(まぁ~、当たり前っと言えば、当たり前!)。身体操作の基準自体が、東洋の心身思想のそれです。
しかし、現在のわれわれは、西洋心身思想の操作である体育・体操、あるいはスポーツの心身操作でしか、自らの身体をコントロールすることが出来ないのです(涙)。
すると、「武術として伝承された沖縄空手の再興」を果すには、自らの心身思想・操作を一度チャラにして・・・。それから、東洋の心身思想によって再構築する以外に、方法はありません。
ここで、百五十年っという年月以上のものが、押し掛かってきます。
しかし・・・、遣らなければなりません。これに関しては、選択肢は無いのです!
ただその為には、時間を無駄には出来ないのです。
道場で指導するすべての動作が、「武術として伝承された沖縄空手の再興」に、直接繋がるモノにしなければ為りません。
だからこそ、道場における指導体系、指導要領の、ゼロからの構築なのです。
そして世界総本部道場での、指導システムの確立を果した後での・・・・。
日本縦断セミナーなどに代表される、日本国内での指導・普及の一環である、本ブログにおける、修行の際の情報・インフォメーションの摂取方法の開陳です。
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