修行と浦島太郎
あれほど、武術として伝承された沖縄空手と、その形の修行においての、「情報収集」と、その「活用」を記しておきながら・・・。
その全てを、「捨てよ!」っと言い。
かつ・・・。
「これから先は、行っては為らない!」などと勿体ぶった、言い回し・・・。または、思わせ振りな、言い方っと言い・・・。
「筆者・新垣清とは、イヤな奴だ!」っと思われる読者も、存在するかもしれません(涙)。
または・・・。「イヤ! これは誘い水である」。または、「誘き寄せるための、エサ撒きなのだ!」っと感じる読者も存在するでしょう。
しかし、わたくし一応真摯に、誠実に記しています。
本気で、命がけで、「武術として伝承された沖縄空手」と、「その形」の修行を志すならば・・・、どんなに才能のある人間でも、三年は掛かります。
それも一日二十四時間、週七日、一年三百六十五日かけての三年です。
その間、他のモノには一切というほどに、手がつきません。
徹頭徹尾、空手の修行に心身を注ぎ込むことが、要求されます。
そしてあなたが武才に恵まれ、強靭な身体を持ち、頭脳明晰で、さらに多大に運に恵まれた場合に・・・。
三年ほどで・・・。武術として伝承された沖縄の真髄に、辿り着くことが、可能であるかもしれません(?)。
しかし、その修行に費やした三年の年月の間に、あなたが決別しなければならなかった仕事、学業、人間関係などは、すべて遠くに去って行ってしまっています。
それらから取り残されたあなたが、現実の社会に戻ってきた場合には、文字通り「浦島太郎」っとなっているはずです。
しかし・・・。
これらは、まだ運の良いほうなのです。すなわち、「ラッキー!」と自分で喜べる範囲なのです。
あなたが武才に恵まれず、強靭な身体も持ちあわぜず、頭脳も凡庸で、さらに多大な運にも恵まれていない場合には・・・。
三年が五年になり、五年が十年になります。
まぁ~、十年後でも、武術として伝承された沖縄空手の真髄、東洋心身文化の真髄を把握するならば、まだ納得が行く生き方でしょう。
しかし・・・。
なかには、一生その真髄を掴む、すなわち「開眼」、または「悟る」ことが出来ない人間も、出てくるはずです。
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