セイサン・セイシャンの形は、使えません!

 この11月に国際沖縄空手道無想会の主催で行われる、「日本縦断セミナー’19、秋・初冬期」の主題の一つは・・・。

 「セイサン・セイシャン(十三)」の形は、

使えるの? 

 っというものです。  

  んっでもって・・・。 答は、「使えません!」です。   

 無理です! ゼッタイに、無理ですって!。  

 少なくとも、わたくしには使えませんし・・・。

 空手界で、使っている人物を一人も知りません。さらに、 このセイサンを使っている人間を、直にも動画などでも観たこともありません。  

 まぁ~、広い世の中には「お前・新垣如きには無理でも、わたしは使える」っと、思われる方もいらっしゃるでしょうから・・・。そう言う方は、以下の文章は無視為されてください。

 まず形の動作が、首里手も、新興・那覇手も、だいたい同じだということが、非常に気になりなります。  

 すなわち、「武術として伝承された沖縄空手」の心身思想・操作には存在しない・・・。

 そして、日本武道にも存在しない・・・。

 呼吸法を用いた、いわゆる「努責作用」で形が演じられています。  

 この「努責作用」は、新興・那覇手の剛柔流のように極端な例のみでは無く、首里手系統のセイサン・セイシャンも同様に、動作が呼吸と同じ、あるいは身体の動作(業・技)の拍が呼吸によってコントロールされる。っという、武術・武道としては有り得ないものとなっています。  

 ここで、明確にしますが・・・。  

唐手・佐久川の移入したであろう15の形が、首里手・古流那覇手の形です。

 さらに佐久川が15の形を移入した以前に存在したであろう、クーシャンクー(公総菅)、ナイファンチ(内帆船、南方拳?)の形が首里手の形です。  

 他に羅漢(ローハイ)や、陳套路(チントー)、陳師父(チンシュ―=チンテ)、そして王武官(ワンカン)、王師父(ワンシュー)、王套路(ワンドー、ワンダウン)さらに、撃(ヂ)の形七つが泊手の形です。  

 これらが、もともとは琉球王国時代に・・・、

「武術として伝承されていた沖縄空手の形」

なのです。 

 すべては水師(海軍)も含む、清朝軍隊(満人八旗、緑営)の軍事教練を、主体としています。 

 あるいは、泊手のように(?)、反政府軍の軍事教練であった可能性のある形もあります???。  

 その後に清朝軍が瓦解を起こしたり、それ以前にも世俗に流れて民間拳法っとなったのが、中国の南方においては白鶴拳、洪家拳、それに五祖拳などの民間拳法です。  

 これは形の名称を理解し、かつ空手の形と、中国拳法の套路(≒形)のコンテクストを理解し、動きを謎っていけば、誰にでも理解できることです。  

 沖縄空手においては、セイサンの形は大きく分けて、唐手・佐久川が移入した軍事教練の、セイサンの形。それに同じく時期的にみて軍事教練であっただろう、「猫・新垣」こと、新垣世璋の移入した、セイサンの形。 

 これらが純粋に武術(この場合は軍事教練としてのそれ)としての、「セイサンの形」っとしても良いでしょう。

 さらに、その百年ほど後に世俗に流れて、民間拳法のセイサンとなった形があります。 

 民間拳法のセイサンの形は、中国清朝が瓦解した後で、軍事教練の場となった福建省の琉球館が消滅し、近くに存在していたとされる湖城家の蔡道場が、これらの軍事教練を世俗の拳法として伝承させていたものです。なお、この段階で当時福建省で流行していた、白鶴拳などの影響を受けたと思われます。 

 剛柔流の始祖である宮城長順・師の師匠である、東恩納寛量・師、さらに上地流の始祖である上地完文・師などは、この蔡道場で時期を隔てて修行して、三つ四つの形を近代になって沖縄県に移入したのです。 

 弊会は、「武術として伝承された沖縄空手の形の再興」を謳っていますので・・・。百年ほど後に、世俗に流れた形は伝授せず、かつ弟子諸氏には習得させません。  

 しかし・・・。 このセイサンの形は、首里手と言っても、沖縄が近代化し日本政府下の時代において、この蔡道場で伝承されたであろう、世俗拳法の影響を、非常に受けてしまったのではないか? っと愚考しています。  

 この稿、続きます。