泊手の形一覧・その1
下記がワン≒王という中国清朝の正規軍(⇐これは重要なので、覚えておかれてください)の武官が、泊地域の武士たちに指導した、中国清朝軍の軍事教練の三つの形です。下記の前ブログを参照してください。
泊手の形も中国清朝時代の軍事教練
これは唐手・佐久川が移入させた、1800年初頭に中国清朝軍漢人部隊(緑営あるいは緑旗営とよばれました)が護衛していた、福建省の琉球館の護衛・護衛官(把門【アーナン】、把門官【アーナンコー・アーナンク―】)のものとは、異なる地域での軍事教練の可能性があります。
ただ、中国清朝軍隊の調練の特徴である、最初に相手に襟首を掴まれた、自分の反撃技からすべて形が始まっています。満人八旗(または満州八旗)の軍人であった可能性の高い、公総菅(クーシャンクー)の形も同じです。
あの空を観る!、いわゆる観空などと称される動作。それゆえに、形の始めに空を見上げてしまう動作は、
後世のわれわれが、
形の業・技を理解していないがために、
解釈し、形の動作としたに過ぎません。
相手が自分の襟首を掴んだ際の、反撃の業・技から形の始まるのは・・・、唐手・佐久川の15の形も同様であり、例外は中国清朝水師(海軍)の軍事教練の調錬であったはずの、ナイファンチ(内帆船・南方拳)の形のみです。
このワン≒王(?)の姓を持つ、中国清朝軍の士官の形は三つとなり、あと残っている泊手の形は10っとなります。そのすべても解明しており・・・、徐々に記して行く予定です。
0コメント