パッサイの形の一手

 セイシャン(十三歩)の形を完全解明して・・・。

 「武術として伝承された沖縄空手」の、「縦(前後)と横(左右)の演武線」の存在認知と、その活用を明確にして・・・。

 その演武線の存在認知で、従来の無想会制定七形のうちの六つを検証する。

 っという作業を経て、今回のセミナーに臨みます。

 その際に、パッサイ(八十一戦)の形に一手欠落があるのが、判明しており、その技を補充します。

 っと言えば、簡単なようですが・・・?

 それを理解することで、わたくしが学んだ「パッサイ(八十一戦)」の形に、なぜ前方での交差立に二種類存在するのか?

 っが、明確になりました。

 松村正統を名乗る、祖堅系統の「パッサイ(八十一戦)」の形のみが、左足前で、交差し・・・。

 他の、知る限りの流会派においては、「パッサイ(八十一戦)」では、左足後ろの交差となります。

 松村正統系統の交差の方法は、「祖堅先生がお歳を召されていたので、間違えてしまった」という俗説も当時から、年若いわたくの耳にも届いていましたし・・・。

 祖堅師から学んだ高弟でも、その足の動作を変えて、他の多くの流会派と同じ様式にして、伝承している流会派も(多数?)存在します。

 なお、 わたくしは、沖縄での修行時代に、交差の仕方が異なる、二種類のパッサイを伝授されています。

 しかし、じつは、祖堅先生の、左足前の交差が正しいのです!

 では、ナゼ? 

 左足後ろの交差立の形が、生まれてきたのか? も・・・、今回のセミナーで説明します。

 この「パッサイ(八十一戦)」以外にも、ナイファンチの肘撃ちの際の、自分の眼の位置など・・・。

 他と、わたくしが学び、弊会で伝授しているナイファンチとは、詳細な部分で異なることがありますが・・・。

 それらは、すべて形の脈略(コンテクスト)が理解できれば、わたくしが学び、伝承している方法が正しいと理解できるものです。

 しかし、それらの是非などは、後年になって再修業した際に、小悟の段階で理解したことであり・・・、

 別に、わたくしがそれらの正しい方法を自らが選んで、修行したのでは無く(当然です、当時の幼いわたくしに、そのようなことが出来るはずがありません)、たまたまそのような巡りあわせに会ったのでしょう。

 ラッキーです! ホントウに、武の神様に感謝です!