伝言ゲームの形に見る、一様な現象
今回の11月のセミナーでは、「武士・松村」こと、松村宗昆の「十三歩(セイシャン)」の形を伝授します。
これは空手、沖縄手、首里手の「十三歩」であり、新興・那覇手の剛柔流、上地流にも同名な形がありますが・・・。異なるものです。
これは、私見と明確にして記しますが・・・。
剛柔流、上地流の十三歩とは、中国福建省にあった琉球館の清朝漢人部隊の護衛兵(把門=アーナン、アーナンコー、アーナンクー)の、軍事教練そのものでは無く、琉球王国が崩壊して、琉球館の把門官たちが去った後に、琉球館の近隣に存在していたとされる湖城(コジョウ)家の、蔡道場に存在していた、世俗化した形であったはずです。
世俗化にあたっては、当時、福建省で流行していた、白鶴拳などの影響が入っていたはずです。
ちなみに、当時の蔡道場には軍事教練の十五の形のうちの、サンチン(三戦)、セイサン(十三歩)、サンセール―(三十六戦)、スーパーリンペー(壱百零八歩)の、四つの形のみが残っていた可能があります。
思うに・・・、この唐手・佐久川が移入したと思われる、1800年初頭(1804年?)から松村が伝授された頃、すなわち1800年中頃までに、原型の清朝漢人部隊の軍事教練の原型から、日本の心身文化である剣術の影響で、すでに変革されていた可能性が高いです。
これも、私見ですが・・・(文責・新垣)。
松村の十三歩の形は、喜屋武系統に伝承されていますが・・・、業・技が非常に省略されて伝承されており、かつ同じ喜屋武系統の流会派においても、各指導者、流会派によってかなり異なります。
ネット上の動画でもご覧いただけると思いますが、「伝言ゲーム」においては、伝言をすればするほど、ジェスチャーが簡素化されます。そして最後は、誰も意味の解らない動作で始終してしまいます。
空手の伝承も、まったく同じ運命をたどっているのです!
驚かれるかもしれませんが・・・(まぁ~、本ブログの読者は「マタか!」っと納得されるかもしれません!?)、アメリカ人の空手家(の一人)に一番、「十三歩」の形の、武術的な意味での業・技が残っています(涙。
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