突き蹴りの概念を、まるで変えます!
わたくしは、「武術」として伝承された沖縄空手の再興、ッっというものに拘り続けていました。
すなわち「武道」「ブドウ」、そして「BUDO」などと言っても、そこに東洋心身文化の武術としての、「業」、「技」の裏付けが無ければ、所詮は絵に描いた餅にしか成りえない!
現代の沖縄・日本本土の空手は、西洋心身文化の体育・体操化、スポーツ化、果てはエンターテインメント化された心身操作に完全に変革されたものであるというのは、空手の歴史(それも僅か、150年の近代史です)を少しでも調べれば、明々白々な歴史的事実です。
その事実に頬被りをして、「武道」、「ブドウ」、そして「BUDO」としての空手を謳い上げても、何にもならない。っと思ってきましたし、今も強烈に思っています。現代空手と武術としての空手の違いは、空手の代名詞としても良い、突き技に顕著に表れています。
武術としての沖縄空手の突きは、現在の如何なる突きの心身理論、操作とも、異なるものです。
これは、蹴りも同様であり、ブッチャケ心身操作全てに言えることです。
現代の多くの流会派(特にフルコン系統)の突きは、わたくしが修行時代の沖縄においては、本物の突きを持った人間たち(少数ですが・・・)からは、「お前のは、押しだ!」っと言われるものです。
だから、強い突き(押し!)を貰った相手は、後ろに吹っ飛んでいきます。
このような突き(押し)が奨励され、評価を浴びるようになったのは、1960年代に、顔面への手技による攻撃禁止で、頭部(腹)へは直接打撃が認められる、いわゆるフルコンタクト空手が勃興してきたからでしょう!?。
なぜか、押す突きが主体となったのか?
胴体、すなわち腹を突くからです。
身体部で重い、いわゆる質量のある胴体に突きを効かすのは難しく・・・。
さらに相手は頭部への手技が禁止のために、身体を固めるという動作が出来ます。これは頭部への手技(いやゆる突き)を考慮する必要が無いために、身体を固めることが比較的容易になるからです。でも・・・、
身体を固めると動作が遅くなるために、実際の戦いで、そのような身体操作をする人間は存在しません。
すると、胴体部の相対的(?)な急所は筋肉の鎧で覆われてしまい、その防御を崩すためには、押して相手を崩すという目的に適った、突き(押し)動作が奨励されて行くのです。
これは、いわゆるフルコンタクト空手競技のルールに沿った、非常に効率の良い、考え方です。
しかし・・・。人間は実際の素手での戦い(ブッチャケて言えば喧嘩です)では、その90パーセント以上が頭部を突きます。あるいは、頭部を殴ります。明確な統計を取った訳ではないですが・・・。まぁ~そういうもんだということに、異論は出ないはずです。
ナゼか?
自分の眼の前に、絶対急所である、相手の顔(頭部)があるからです。
こんなに打ちやすい(突きやすい)場所に、的(マト)があるのですから・・・。それを打って(突いて)、相手を倒すというのが、一番手っ取り早いからです。
手技のみの格闘技であるボクシングでは、、KOはすべてを言って良いほどに、頭部への打撃なはずです(これも、統計を調べたわけではないですが・・・。文句は出ないでしょう!)。
そしてボクシングでは、上記の押し気味の突きは、奨励しません。押すという、遅い動作を自分が行っている間に、相手の速射砲のような突き(パンチ)が、自分の顔(頭部)に2,3発炸裂するからです。すると、タマッタものではありません。KOされるのは勿論のこと、こんなことを続けていれば、パンチ・ドランカーへの道へ、まっしぐらです。
武術としての沖縄空手の突きの理論も、まったく同じなのです。
武術としての沖縄空手の突きは、押すのでは無く、切るのです。
文字通り、突き刺すのです。
すなわち現代空手で「良し!」とされる、押すのでは無く・・・。
速射砲の弾に、如何にして、重み(衝撃度)を加えるのか?
が問題になるのです。現代空手においては、この理論が皆無ですし、思考方法が真逆です。
0コメント