沖縄手・首里手のセイシャン(十三歩)の形・その2

 現行の新興・那覇手である剛柔流の拳(コブシ)、すなわち閉手。

 そして静歩行の、姑娘歩。

 さらに、右足始動。

 そして呼吸を使って身体を固めるなどの、怒責作用のセイサン(十三歩)は、沖縄手、そして首里手のそれとはまったく別のものです。

 なお、1900年前後に中国の福建省の琉球館の側に存在したとされる、湖城家の蔡道場で修行した東恩納寛量・師の移入した「十三歩」においては、開手で現在の歩法と同じく、姑娘歩による右足始動・・・。しかし呼吸法による怒責作用無しの形であったはずです。

 琉球王国が崩壊する以前に、琉球館で行われていた軍事教練としての十三歩は、当然のごとく開手、そして右足始動。歩法は、自然な動歩行であったはずです。

 この蔡道場における姑娘歩は、軍事教練から世俗の民間拳法に移行した際に、当時福建省で大流行した羅漢拳と、白鶴拳の影響が加味されて、特に白鶴拳の大きな特徴である姑娘歩が取り入れられたと思います。

 さて、首里手のセイシャン(十三歩)の形ですが・・・。当然のごとく、呼吸法で身体を制御しません!

 すべて武術として伝承された形式によって、開手です(当然です。人間はコブシを握って生活しません)。

 なお、今回の本セミナーを受講なされた方々は、「手の内」の操作によって如何に鋭敏で破壊力のある、突き技、拳をつくるのかが如実に理解出来たはずです。

 武術としての当法(アティファ)とは、開手から閉手への移行する操作で、エネルギーの最大増加を図る!

のであって・・・。それを無視して、最初からギンギンにコブシを作るなどの、心身思想・操作は存在しません。

 最初からコブシを作って・・・。などはルールのある競技以外には存在出来ないのです。

 さらに前後、左右の演武線にそって、動歩行です。

 そして足の始動は、左足からです。

 なお、中国での軍事教練においては、上記のように新興・那覇手と同様で右足始動であったはずです。

 この動作に関しては沖縄手、首里手は、「首里は左から」すなわち、沖縄の心身文化に多大なる影響を与えた、日本本土の剣術の影響で左始動と変化されています。

 しかし・・・。

 ここで、明確にしますが・・・。

 琉球館で行われた、軍事教練としての十三歩。右始動から左足始動へ変革した、首里手の十三歩。そして世俗化して、蔡道場で民間拳法の形(套路)として修行された十三歩にしても、すべて武術としての業・技を保有していたものです。

 現在の数多くの流会派で観られるような、技の欠落した、

のっぺら坊の形では、無かったのです。