首里手と白鶴拳はまったくの無関係

 国際沖縄空手道・無想会の制定七形の一つ、そして今回セミナーで伝授した、沖縄手、首里手の「セイシャン(十三歩)」の事柄を記しています。

 この「セイサン」、「セイシャン」、そして「半月」とも呼ばれる形は、新興・那覇手の剛柔流や、上地流にも、存在しますが・・・。

 それらの心身思想と操作と、首里手のそして弊会のそれとはまったく異なるものです。

 そもそもが・・・、(これはいま、現在はわたくし・新垣清一人が声高に述べているのですが・・・)、

沖縄手、首里手(含・古流那覇手)とは、1800年初頭に、中国清朝漢人部隊の軍事教練の徒手格闘術の、15の形が、移入されたものです。

 その軍事教練が民間に流れて、1800年中頃に福建省で爆発的に流行した羅漢拳(らかんけん)、白鶴拳(はっかくけん)の影響下で発展していきました。

 その世俗に流れた民間拳法となったものの一つが、琉球館の傍にあったとされる湖城家(こじょうけ)の蔡道場(さいどうじょう)です。

 そのために、これらの剛柔流、上地流の心身操作には、武術として伝承された沖縄空手(含・日本武道)には絶対に存在しない、

静歩行の姑娘歩、いわゆるサンチン立ちでの歩行が存在します。

 猫足立ちが存在します。

 さらにその後に、東恩納寛量(ひがしおんな かんりょう)師の筆頭弟子であった、宮城長順(みやぎちょうじゅん)師が中国から移入された怒責作用(呼吸法による身体操作)が加えられます。

 しかし、それらの心身思想・操作は琉球王国時代に、武術として伝承された沖縄空手には、まったく存在しない、

心身思想・操作であったのです。

以上の事柄は、わたくし・新垣清の文責として、明記しておきます。