沖縄手と首里手には、「武備志」は無関係
「武備志(ぶびし)」という書物が、空手の近代史上に現れます。
このいわゆる沖縄空手の「武備志」とは、中国拳法の副読書のようなものです。
ですから・・・、
同じ題名で、明時代に掛かれた有名な茅元儀(ぼう・げんぎ 1594-1641594-1640)の「武備志」とは、混同しないようにしてください。
こちらの「武備志」は、140巻もある膨大なものなのですから・・・。
さて、この空手界、特に新興那覇手の剛柔流や、(時には上地流も?)で良く取り上げられる、沖縄版「武備志」ですが・・・。
この「武備志」は、琉球王国時代に武術として伝承された、沖縄手、首里手(含・古流那覇手)には何の関係もないものです。
なぜなら、この沖縄版「武備志」は主に、羅漢拳(らかんけん)から移行して、白鶴拳を学んだワイシンザン(王缶登)のレクチャー(講義)を、沖縄人が記してものであるはずだからです。
そしてこの白鶴拳は、1850年前後に福建省で爆発的に普及した(わたくしは、その普及の原因も分かっている心算です)もので・・・。
それ以前の1800年初頭に移入された、中国清朝漢人部隊(緑旗営)の軍事教練を元にした、
首里の15の形、そしてクーシャンクー(公総菅)、ナイファンチ(南方拳、あるいは内帆船の漢字か?)の形には、まったく無関係だからです。
ですから、ここで明確にしますが、沖縄手、首里手(含・古流那覇手)の、セイシャン、セイサン(十三歩)の形は、軍事教練の形の三番目の形で・・・。
首里化されたために、オリジナルの右足初動とは異なり・・・。左足初動。
呼吸による身体を固める、身体を操作するなどの、いわゆる努責作用が皆無。
白鶴拳の特徴である姑娘歩、いわゆるサンチン立ちでの歩行(静歩行)が皆無。すべて、歩み足です!
それと平行して、いわゆるセイシャン立ちなど、または半月立ちでの歩行なども皆無(これらは、全て静歩行)。
さらに、静歩行の「猫足立ち」での移動が皆無。
コブシ(拳=閉手)では無く、手を開いて状態(開手)で動作が行われる(勿論、手を締める動作も含まれる)。
正中線、演武線の認識と活用が明確であり、白鶴拳の影響を受けたと思われる円運動は皆無。
などで、あったはずです。
それが時代が進むごとに、当時福建省などで、日の出の勢いであった(?)白鶴拳の影響を徐々に受け始めた、湖城家の蔡道場でのセイサンが持ち込まれる。
かつ沖縄においても、白鶴拳の名手と言わていた呉賢貴・師の来沖などで影響を受け(ネーパイや白鶴、そしてパープーレンなどの套路は、その時のもの)・・・。
首里手の空手家たちが、心身思想・操作の歴史的バックボーンを知らずして、白鶴拳風に変化させたのです。
すなわち、白鶴拳化してしまったのです。
しかし、それらは、琉球王国時代に、武術として伝承された沖縄空手とは、ナンら関係の無いものなのです。
0コメント