泊の照屋と、首里の松村はナニを学んだのか?
なぜ首里手の祖としても良い松村宗昆(まつむら そうこん)の直系である、祖堅方範(そけん ほうはん)・師の手に、泊手の「ローハイ(羅漢)」の形が存在するのか?
これが泊手を代表する形の一つである、「ローハイ(羅漢)」の形を、我が国際沖縄空手道・無想会の制定七形に導入したいと思った時に・・・、疑問に思い、かつやや不安になった理由です。
上記の、首里手と「ローハイ(羅漢)」の形との兼ね合いにおいては・・・。「本部(もとぶ)の猿」こと、本部朝基(もとぶ ちょうき)・師が
「『ワンシュー』や『ローハイ』は廃藩置県以前は、泊地域でのみ修行された」という記述を残しています。
では、祖堅師の「ローハイ(羅漢)」は、一体どこから・・・?っというのが、まず最初の疑問です。
そしてこの疑問こそが、師の松村直系の手というものに対する懐疑が、当時の沖縄(含・日本本土)の空手界でも、ささやかれていたことの一つの理由ですとも前ブログで記しまた。
しかし・・・。史実的に俯瞰すれば、泊手と首里手の祖で松村宗昆との接点は、存在するのです。
それが、「照屋(てるや)(泊手の祖の一人)と、松村が乞食に金を恵んで手の教授を請うた」っという口碑が、確かに存在するからです。
この乞食と言われれる人物は、中国人武人のことであろうということが定説ですし・・・。わたくし自身も、それが正しいだろうと思っています。
なんせ、あの時代(琉球王国時代)の、あの二人が、手の教授を請うほどの人物(それも乞食)が、沖縄にそれほど居るはずがありませんもの・・・。ってか、皆無でしょう!
では・・・、照屋規箴(てるや きしん)・師と松村宗昆・師は、この乞食(中国人武術家)から、一体ナニを学んだのか?
これは、当然ながらの疑問ですが・・・。
残念ながら、沖縄空手界(含・日本本土)においてこの疑問を発する人間も、そしてその答えを模索する人間も存在していませんでした。
私事になりますが・・・。いま現在、わたくし自身は、その疑問に、答えることが出来たな! っと思っています(詳細は、2020年春・初夏期のセミナーで説明します)。
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