空手の形の、統一理論は存在するのか?

 「武士・松村」こと、松村宗昆(マツムラ ソウコン)が使った空手の形である「セイシャン・十三歩」、「ごじゅうしほ・五十四歩」。

そして「パッサイ・八十一戦」の三つの形には、徹底した統一の理論があります。

 これは、次回のセミナーで伝授する予定の、「クーシャンクー・公総菅」の形でも同様です。

 それは・・・。

 心身思想を明確にした、心身操作というもので・・・。

 まず、徹頭徹尾に形の開始点と終了点、すなわち終始の場所が同じということです。これは、1センチの狂いもありません。

 さらに、形の中に、前後・左右・上下の演武線が、存在する。

 そして身体操作において、自分の身体内に正中線が存在し、かつ天地線(新垣清・造語)が存在します。

 敵と自分の相対関係もおいても、相手を開始点の後ろに置かない・・・などなどの、極めて厳密なものがあり、それは上記四つの形すべてに、共通しています。

 そして技術的には、「夫婦手(メオトデ)」というものが、すべての形の、すべての動作に存在します。

 この、「夫婦手・メオトデ」なるものは・・・。

 あの「本部の猿」こと、本部朝基(モトブ チョウキ)の本にも登場する言葉ですが・・・。

 筆者・新垣清は、本部朝基は「夫婦手・メオトデ」の意味、すなわち身体操作(技)を、誤解・曲解していると思っています(文責・新垣清)。

 なぜ、そのような誤解・曲解が生まれたかと言うと・・・。

 本部朝基は、空手の形を閉手(へいしゅ)すなわち、手を閉じてコブシの状態にした、いわゆる格闘術としてしか、修行・理解していないからです。

 彼は、武術としての空手の修行を、してはいません。

 別に彼だけではなく、彼と同年代の人間で、武術としての空手の修行を行った人間は、皆無だと思っています。

 本部朝基はその中でも、体育・体操やスポーツとしてでは無く、少なくとも格闘術、あるいは格闘競技とししての空手の修行をした人間だと思っています。

 ・・・なお空手の形は、近代化を迎えて、体育・体操として、当時の教育機関に導入しようとしたために、多くの変革をしました。すなわち学校教育の場で指導するために、危険で殺傷能力の高い業・技をすべて、安全で当時の最先端の西洋心身思想(体育・スポーツ)によって、替えられたのです・・・。

 これらのモロモロの理由(この理由に関しては、何時か詳しく説明します)で、本部のナイファンチや、その中にある業・技は、武術では無く、格闘競技の解釈によってのみ、理解されてしまっています。

琉球王国時代の、「武術として伝承された沖縄空手の形」は、全てが開手で行う業・技です。

 人間は拳(コブシ)を作って、あるいは握って、日々の生活を営んではいませんし・・・。

その進化の過程において、コブシを使って主なる身体操作をしたことは、無いのです。

 そして当然の事ながら、閉手での解釈や業・技では、武術としての意味の理解は到底不可能です。

 その最もなものの一つが、上記の「夫婦手(メオトデ)」っと呼ばれるものです。

 まぁ~、それはともかく・・・(なぜなら、もうこれらの事柄は、わたくしにとっては、あまり重要な問題では無くなってしまっているからです)。

 上記の四つの形に、泊手の「羅漢(ローハイ)」の形も加えて、五つの形すべてに武術として伝承された形には、「夫婦手(メオトデ)」を常に使い、相手の頭部を固定して、自分の膝蹴りが相手の死角から飛んでいくようにして、技を使います。

 これは、上記の全ての形の、如何なる場面においても同様です。

 この、いわゆる「夫婦手・メオトデ」に関しては、国際沖縄空手道・無想会の主催する「日本縦断セミナー」で、再三(っというか、毎回)にわたって詳細を説明していますので・・・。受講された方々や、弊会の会員諸氏は、もう完全に理解なさっていることでしょう。

 では、ナイファンチの形では、どうなのか・・・?

 それは・・・。 

 そして、それが・・・。

 わたくしの、ナイファンチの形における唯一と言ってよいほどに、残った課題でした。

 しかし、今日、それが解けました!

この稿、続きます。