アナタは、クーシャンクーの形が嫌い?

「師範は、クーシャンクーの形が、嫌いなのですか!?」

っと、今回のネット・セミナーが終わった後で、言われてしましました。

「ンン―ッ!!!!」っと、返事に窮しました。

 実は私、日本本土の空手界で、今・現在は、北谷屋良(チャタンヤラ)のクーシャンクーなどと呼ばれる形の原型を、直に沖縄での修行時代に学んでいます。

 まぁ~、当時はチャタンヤラなんて言って無かったはずですがね!

 さらに、首里のクーシャンクーや、観空と呼ばれる形の祖としても良い、松村のクーシャンク―も直接学んでいます。

 そして、この二つゼンゼン別の流れであると思い込んでいましたし・・・。

 現在でも、全ての空手家が、このクーシャンクー、公相君、観空などと称される形には、この二系統があるっと思っているはずです。

 まぁ~、他に主なものとして、「武村のクーシャンク」があります。

 私見ですが、この流れは首里の原理・原則とは、まったく異なると思っているので、本ブログでは触れません。

 明治後にまったく異なる流れだと思われていた、このクーシャンクー(「公総管」が漢字表記でしょう!)・観空と呼ばれる形が、じつはまったくと言って良いほどに同じものである!

 っという、自らの修行によって、驚愕する事実にぶち当たった、私にとっては、この形は・・・、一体全体、われわれ空手家は、いままでナニをしていたのだ?

 っという、虚脱感、失望感、虚無感を抱かせてしまうものなのです。

 ひっくるめて、絶望感としても良いでしょう。

 昔の沖縄では「クーシャンクー♬、っとぅ~♬、ナイファンチ~♬」と、三味線の音合わせの時に、唱えられていたも側聞するほどに、空手の代名詞としても良い形です。

 それほどまでに普及していた、沖縄の文化の中核にあったとしても良い、この形の構造・機能・様式・応用を、誰一人、近代・現代の空手家は、理解して居なかったのだ!!

 っという事実の重さを前にして、私は、この形を使うたびごとに、圧倒的な絶望感を乗り越えていかなければ為らないのです。

 同じような、この「150年の間に、ダレも気づかなった!」っという絶望感を伴う思いは、ナイファンチの形を解明した時にも、味わいましたが・・・。

 少なくともナイファンチは、初段の部分は泊手と他の形は、逆方向に行くとは言え、同じ形であり、クーシャンク―の形に対するような、無知蒙昧さは余りありませんでした。

 少なくとも、最初の動きに際しては、敵は一体どこに居るのか? っということが疑問になることはありません。

 まぁ~それも、その後の動きにおいての、敵の存在は滅茶苦茶ですし、形自体の解釈が、ホントウは無知蒙昧のオンパレードなのですが・・・。

 しかし、今回のクーシャンクーの形に関しては、首里手系統のそれ、あるいは観空と呼ばれる形は、最初に自分を攻撃する相手が、一体どこにいるのか? 

っという形にとっては、肝心要のトコロから、まず間違ってしまっているのです。

 アンタ、明後日の方角に向かって、一体何ししてるの? っと言われても、オカシクないほどの間違いです。

 すると、この形を使っている(形は演じるのでは無く、撃つ・打つものでも、ありません)自分が、この形の伝承の経過に思いを馳せて・・・。

 空手って・・・。

空手の形って・・・。

一体ナンなの!??

 っと、私だけではなく、ダレでも思うことでしょう!? われわれは、空手の心身思想・操作、そして形に関して(って、アンタそれって、「全てじゃん?」っという突っ込みは無しね!)、

誤解・曲解どころか・・・。

無知蒙昧!

だったのだ! と言われても、返す言葉さえないのです。

 誰~れも、何にも~、ゼンゼン、分っていなかったのだ!

 っという絶望感を、形を使う度に味わなければなりません。

 これが、キツイのです!。それが、イヤなのです!。

 しかし、われわれはこの絶望感、キツさを乗り越えて行く以外に、武術として伝承された沖縄空手の再興は不可能であり、さらに記せば・・・。

 武術として伝承された沖縄空手の再興を為すことのみが、形を使う、すなわち理解して、習得し、かつ伝承するということである。

 っと、いま自らを鼓舞しつつ、この形を使っていこうと思っています。

 何時の日にか・・・。

 私の一番好きな形は、クーシャンクーの形です。っと言えるまで、この形を稽古して行こうとも、思っています。