形による時空の制覇

 国際沖縄空手道無想会の主催により、先日行われたオンラインセミナー二日目の、「ナイファンチで極める首里手の身体操作」と、「空手の歴史から考察する形の意義」に関して記しています。

 そこで・・・、空手の形は使えない!

それと同時に、大部分の中国拳法の套路も、使えない! 

っと説明しました。

 なぜか? 彼我の間にある、時空の制覇が、出来ないからです。

 なぜ、制覇出来ないのか?

 打撃系統の突き・蹴りのみで、形が構成されている!

からだと、考えている。そして思い込んで、いるからです。

 これは、まったく・完全な間違いです。

 空手の形においては、打撃系統の業・技は、限定されたものでしかありません。

 さらに、投げや極めの業・技も、限定されたものでしかありません。

 そして実戦・実践を前提としているので、自分の身体が位置エネルギーとしてのみ存在し、その位置エネルギーを運動エネルギーとして転換することの無い、いわゆる自分の身体が死体(しにたい)っとなってしまっている、

寝技が存在しません。

 この寝技無しというのは、驚くべきことでしょうが・・・。

初期の柔術の各流会派の伝書にも、寝技は存在しません。

 寝技は、平和な時代になって、殿中っといういわゆるお城の中で、自分が素手で相手を取り押さえるっという、非常に限定された場面でしか使えないと、当時の人間は認知していたからです。

人は彼我が密着状態で戦うならば、自分の手で、相手の指を折ります。

自分の指で、相手の目をえぐり出します。

自分の歯で、相手の喉笛、耳たぶ、指を食いちぎります。

 その時に自分が死体(しにたい)っとなって、相手に重(おも)しを掛けるだけの、位置エネルギーのみを使い、それを運動エネルギーに転換することの無い寝技では、防ぎようが無いのです。

 さらに、相手が何人いるのか? などの予測が立たない場面で、自分が地面・床に寝るということは、自殺行為に近いものです。

 突き蹴りのみの打撃系格闘競技とは、相手が自分を掴み、投げ、かつ極めるということを、ルールで禁止しているからこそ成り立つものです。

 同様に、寝技のある格闘競技とは、相手が自分に対しての、指を折る。目をえぐる。そして、噛みつく。などを禁止しているからこそ、行える競技でしかありません。

 上記の事柄を列記していけば、空手本来の業・技とは、そしてその総合体・集合体である形とは・・・。

 自分と相手の間にルールが無く、間に立ってくれる人間の存在も無く、立って相手を突き、蹴り、投げ(て首を折る)、(主に首を)締めることを目的とした、総合武術なのです。

 っと言っても、ダ~れも反対する人間は存在しないはずです。

 そうでなければ、当時の武士たちが求めた、実戦・実践で使える技術としては、存在出来なかったのです。

 そして上記の総合体が、武術として伝承された空手の形なのです。

 少し考えれば、ダレでも分る事柄なのです。