「自反而縮雖千萬人吾往矣」でも、まだダメだよ
自反而縮雖千萬人吾往矣
(みずから かえりみて なおくんば 千万人といえども われいかん)
という言葉があります。
常に怯懦な心に苛まれるわたくしのような人間には、非常に耳の痛い言葉でもあります。
しかし修行において、「己に逢えば、己を殺し」っということは、「自ら反りみて縮くんば」どころでは無く、「自ら反りみて、自ら(の全て)を否定しろ」っということであり・・・。
ある意味、千万人に向かって往くことより、辛きことでもあるかもしれません。
しかし、武術の修行はそれを要求しますし・・・。
その要求を受け入れて進んで行く以外に、武術として伝承された沖縄空手の心身思想・操作、そしてその形を理解することは不可能です。
でも・・・。
どんなにツライことでも、このブログで書く、あるいはこのブログを読む範囲のものであれば、お茶の子さいさいですので・・・。では、やってみましょう!
無理なんです!
寝技主体で、武術の要求する、実際の闘いで無傷で生き残ることは・・・。
無理なんです!
素手の人間が闘うというのは、突き蹴りの打撃系統の業・技のみである! っという考えで形を理解し、修行してしまうと・・・。
無理なんです!
相手も打撃系統(のみ)の業・技で、自分を攻撃してきて、それを「受けて!」、自分が攻撃を返すっという考えで形を理解し、修行してしまうと・・・。
無理なんです!
自分を襲ってくる相手は、「四方八方」に存在し、その相手が順序正しく自分を襲ってくる! っという考えで形を理解し、修行してしまうと・・・。
ですから、空手というものを、打撃系の突き蹴りのみであると誤解・曲解して、それを元に空手の形を理解して、修行して使えるようにするという行為自体が、
無駄なんです!
なぜなら・・・。
打撃系統のみの業・技で、現行のような形を形成・創作すること自体が・・・!
無理だからです!
どうです?!
簡単でしょう!
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