形は、使えるのが、当たり前のハナシなのだ
国際沖縄空手道無想会の主催により、先日行われたオンライン・セミナーでは、初日で「形は使え無い!」、そして「形が使えるはずが無い!」と述べました。
そして二日目の、「ナイファンチで極める首里手の身体操作」と、「空手の歴史から考察する形の意義」の講義で、形は使える!
っと述べました。
まずセミナーの初日、すなわち最初に自己否定、すなわち相互否定をしていかなければ、これほど近代社会に融合するために、体育・体操、スポーツ、レクレーション、エンターテインメント化してしまった空手の形が、使えるはずは無いのです!
これは修行の最終段階で直面する、「己に逢えば、己を殺し!」っとまでに、キツイ、厳しい課題です。
これが出来るか、出来ないか?
あるいはこれを、遣れるか、遣れないか? で・・・、その個人の空手の境地が、どこまで行けるのかの境目だと思っています。
国際沖縄空手道無想会に入会された会員諸氏は、すでにこの段階は乗り越えているはずです。
さらに、弊会のリアル・セミナー、あるいはこのネットセミナーを受講された参加者は、この課題が存在すると、気づかれた方々だと思っています。
そして上記の体育・体操、スポーツ、レクレーション、エンターテインメント化してしまった空手の形を、全否定して、東洋の心身思想から、生まれてきた、武術的思考方法と心身思想で、既存の形を武術的に理解する段階を、二日目には示唆しました。
すなわち、形は使える!
っということを・・・。
さらに一つの形が、一つの方法で使えるだけでは無く、複重的に使える!っということまで、説明しました。
ここまで武術としての空手の形を解説し、伝授したのは、明治以後の空手界では、最初!なはずでしょうし・・・。
わたくし個人としても、国際沖縄空手道無想会の世界総本部道場での弟子たち以外に解説、伝授するのは、初めてでした!
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