大山倍達(バイタツ)師の空手

 大山倍達と言えば、史上名高い「牛殺し」の空手家であり・・・。

 かつ手技による顔面殴打は無しですが、それ以外の部分は基本的にはOKっという・・・。

 いわゆるフルコンタクト空手競技という、当時としては非常に画期的な組手競技を編み出した人物です。


 以下、全て文責を新垣清と明記した上で、記していきます。


 この大山師の名前を、私は沖縄での修行当時、それもズーッと幼いころから知っていました。

 しかし、それは大山倍達(マスタツ)としてでは無く、大山倍達(バイタツ)としてです。

 実は、大山師は空手研究・修行のために、沖縄に足を運んだという話しがあります。

 さらに、この時に、私の良く知っている方と組手で勝負して、引き分けたという話しも聞いています。


 この方を、仮にK先生としましょう。

 このK先生・・・。

 私の小学校時代の理科の先生(2年間に渡って・・・)で、さらに副知事までになった私の親族と、小中学(高校も?)にかけて同級生だったということで、わたくを非常に可愛がってくださった方です。


 このK先生の、お師匠さま(この方もイニシャルがKなので、混乱を避けるためにこの表記です)は、沖縄空手界では知る人ぞ知る先生で、確か本部朝基の兄であり、本部御殿の当主であった本部朝勇・師からも空手を学び・・・。

 かつこの朝勇師の言いつけで、武術としての空手の修行に、当時台湾に移住していた沖縄武士の元に行って、学んでもいたはずです。


 この私の知るK先生と、大山バイタツという、日本から来た「牛を殺した」空手家が、組手で試合をして引き分けたという話しです。

 当時は私は、オオヤマ・マスタツなどという名前は、聴いたこともありません。ってか、誰も知らない!

 ですから、このK先生と引き分けにまで持ち込める空手家が存在するということで、驚愕してしまい、この大山バイタツなる名前をズーッと覚えていました。


 この話しは、マンガの「空手バカ一代」が世間に登場して、大山倍達・師の名前が広まるズーッと前の話しですので、非常に信憑性が高いのですが、私自身がまだ確認を取れていません。


 少し、話しは長くなりますが・・・。

 実はこのK先生のお師匠さまは、韓国に出向いて、タイワンドーの連中に空手を指導したという逸話も、その時分に聴いています。


 この話し・・・。

 「ナンで、韓国で、タイワンドー(台湾道)なの?」。

 「韓国ならば、カンコクドー(韓国道)じゃないの?」 っと、おバカなことを、幼心に思っていましたので、非常に明確に憶えています。

 これって、いま考えてみれば、このタイワンドー(台湾道?)って、韓国のテッコンド―(跆拳道)のことなんですよね! 


 余談ですが・・・。

 実は当時は、発音のタイクゥワンドーに近いので、大韓道っという漢字表記をあてることもあったのです。


 なには、ともあれ・・・。

 大山倍達・師の興した極真会館の空手の形は、松濤館系統と剛柔流系統のミックスだと言われています。

 それらをミックスすることが、可能であるのか? どうか? は、本ブログでの趣旨では無いので、触れません。


 しかし、この大山師の空手には、前ブログで記した「手刀中段受け」のように、そのミックスだけでは語れない・・・。あるいは、理解出来ない部分が確かに存在します。


 そに一つが、ズーッと以前に五十四歩の形を、本ブログで説明した時にも記した、横で行われていたであろう技の動作を、大文字のIの前後の線上で、そのまま処理している! 

 っということです。


 これって・・・。

 中国軍事教練の徒手格闘術の構造である、大文字のI(本来は、逆卍の片方)から、琉球化・沖縄化への、大文字のTの逆さまのカタチの構造に至りつく際の過程を、そのまま形で伝承しているのです。

 すなわち、言ってみれば松村のパッサイ・大から、パッサイ・小に行くつく前の、パッサイ・中の段階です。


 さらに膝蹴りが、非常に形骸化してしまっていますが、そのまま残っている。


 そして、極めつけが、現代の沖縄空手、そして日本本土の空手流会派においては、唯一と言って良い程・・・。


 相手の首に喉輪を入れて、反対側の手で頭を抱え。

 そして、身体の動きで、相手の首を折る。

 または、首を折りながら、投げる。

 あるいは、首を折る為に、投げる!

 っという動作が・・・。

 名称や、解釈は全く別だが・・・。 動作だけでも、残っているということです。


 これらは一体、どなたから? 何処から? 学んだのか?

 そして、それらは、大山倍達・師自身が学んだのか?

 それとも・・・?

 っという所が、非常に興味深いのです。


 ナニは、ともあれ・・・。

 以前に、このブログの 創作形では、ダメだ!でも記したように、私・新垣清と、国際沖縄空手道・無想会は・・・。


 一人よがりの解釈や、派手な外連(ケレン)の空手に陥っては、近代になって誤解・曲解、または意図的な創作・偽作で興り、衰亡していく流会派っと、全く同じ道を辿ってしまいます。


 これは私や、弊会の運命を記しているだけでは無く、下記したように、私がもう沖縄でも、武術の片鱗を残す空手に、直に触れ得た最後の、ホントウに最後の世代なのです。


 私の、武術として伝承された沖縄空手の修行の後に辿り着いた、武術としての形の動作と解釈が、私・新垣清の独りよがりでは無く、全て証拠が存在し・・・。

 かつエビデンスとして、証明されるのだというのが、これで皆さまにも、ハッキリとご理解いただけたかと思います。


 上記の色々な事柄でもお分かりのように、世代的に言って、私の代で、武術として伝承された沖縄空手の再興を成し遂げておかなければ、次の時代にはゼッタイに無理です。


 次に続く者たちを信じて、その上に乗れる、少しでも盤石な肩を作って行こうと思っています。

国際沖縄空手道 無想会 International Okinawa Karate-do Muso-kai